東京都をはじめとした大都市に緊急事態宣言が出され、日本中に重い空気が流れている。いつまで続くのかわからない非常事態状況に、平和な時代しか知らない日本国民はとまどいと緊張を強いられている。こんな時に引き合いに出すべきなのかは定かでないが、今日は260年続いた太平の世が黒船の来航とともにあっと言う間にひっくり返った日、152年前の1868年4月11日(新暦5月3日)は、最後の将軍・徳川慶喜が江戸城を完全に新政府へ引き渡した記念日である。
1853年7月に黒船が浦賀へ来航してから15年、結局江戸幕府の要人たちは右往左往するばかりで何もできず(むしろ余計なことばかりしたのかも)、日本の宝を海外へ流出させつづけ、挙句に政府が転覆することでしか次に進めなかったのである。
●「江戸開城」はまさに今日
教科書などでは、「江戸無血開城」などと紹介されるが、実際は全国で日本人同士が戦闘を繰り広げ多くの血が流れている。幸いにも江戸の町の戦いが上野でわずか1日(正確には半日程度)で終わったため誤解が生じているが、京都や会津、函館といった有名どころ以外でも宇都宮や船橋などでも幕府軍は新政府軍と戦い、多くの人々が亡くなっているのだ。もちろん歴史を振り返ると政権が大きく変わったにしては、流れた血はどちらかといえば少ない部類に入るのだろう。これを新政府側は誇りに思い、記憶として留めておきたかったに違いないが、決して無血だったわけではないことはしっかり覚えておきたい。
●一夜にして幕府が新政府へ
とはいえ、江戸城や江戸の町を火の海にせず、多くの市井の民の命が助かったことも事実である。徳川側が明治政府側に恭順の意を示し、将軍は蟄居・引退する─つまりまるまる政治を渡すので戦争はやめてほしい、という交渉をまとめたのが、西郷隆盛と勝海舟による会談だったと言われている。大将同士の話し合いでもなく、肩書きからいえば大した役についていたわけでもないもの同士の話し合いで、こんな大事なことがまとまるというのもすごい話であるが、もはや平時でないこの時には階級や肩書きなどはまったく関係のない話だったのだろう。まさに戦国時代の下克上さながらである。