それではオリンピックでは走れない、というのが持論だ。現役時代の経験から、どんな条件でも安定して走る力と勝負強さ、プレッシャーに打ち勝つ精神力、それらが備わらないと五輪では勝てない。行き着いたのがMGCシリーズであり、最終的にMGCで代表を選考するスタイルである。
「選手選考がクリアになり、レベルアップしました。基準タイムをクリアすればオリンピックに出られると、選手のモチベーションも上がりました。結果、10年以上出てなかった日本記録が更新されました。私が作ったスキームにうまくハマってくれましたね」
16年秋からマラソン強化戦略プロジェクトリーダーを務める瀬古。熱く語り続けつつ、こんなつぶやきが聞こえた。
「でもね、私、若い世代にはマラソンに妙に詳しい、面白いおじさんと思われている節もあるんです」
世界のトップ選手だった現役時代、修行僧とも称され、一点を見つめ黙々と走り続ける瀬古を知る世代には信じられない。そのイメージギャップに、どちらが本当の姿なのかを問うと、力を込めて即答した。
「もちろん、面白いおじさんです(笑)」
では、かつて修行僧と見られたことについて、どう感じていたのだろう。
「本来、テキトーな人間なんですよ。でも、師事した中村清監督が、瀬古は女の子と手をつないだこともない、喫茶店に行ったこともない。あいつはまじめな奴だ。そうメディアに言い続けた。監督を裏切りたくないので、そのとおりにしました」
中村監督は、面白いことを言うと宗兄弟らライバルになめられる、瀬古も実は普通の人間だなんて思われてはダメだ、と諭した。息抜きは走ること。趣味は走ること……。そんな監督の理想像を演じ続けた。
「でもね、ビールだけは飲んでいましたね。唯一の息抜きでした。最初はビール。最後もビール。昔はオフのときは1ケースくらい平気で飲んでいました。でもあまり酔わないんです。現役のときは、人前では飲みませんでしたけどね」