マラソンニッポンの大黒柱だった瀬古利彦さん。15戦10勝。“修行僧”のような面差しで勝負強さを発揮、観衆を魅了した。一方、若い世代には「マラソンに妙に詳しい面白いおじさん」というイメージを持たれている。どちらが本当の瀬古さんなのか。
東京五輪の開催が2021年に延期と決まった直後の3月25日。日本陸上競技連盟のマラソン強化戦略プロジェクトリーダーとして、いち早く代表を再選考しない方針を明らかにした。
「彼らが自分で勝ち取った権利、それを急に取り上げることはできない」
代表選手を強く思うのは、マラソングランドチャンピオンシップ(MGC)の結果、選考されたからである。MGCは、19年9月15日に東京五輪のマラソン日本代表選考会として開催。代表は17年から19年にかけて開催された大会に出て、タイムと順位をクリアしてきた。つまり代表たちは実績を積み重ねてきたのだ。
「16年のリオ五輪のとき、男子の最高が16位の佐々木悟選手、女子が14位の福士加代子選手。その前のロンドン五輪では中本健太郎選手が6位に食い込んだものの、その前の北京でも男女とも優勝から程遠かった。このままでは東京はヤバいね、という話になり、陸連から強化の話が来たんです」
そのころ、街で行き交うひとに男子マラソンの選手で誰を知っているか、たずねたことがあった。
「そうしたら、猫ひろしって言うんです。もちろん猫ひろしさんは立派なマラソンランナーですけどね、日本のトップ選手の名が出てこないのが……」
代表選考を一本化し、新しい大会を開く構想がひろがった。それまでの選考は基準があいまい、という指摘は根強く、選手だけでなく陸連の一部メンバーや職員にも選考方法を変えるべき、という考えがあった。
「このままではダメになる、と私が担ぎ出されたわけです。そうして実現したのがMGCでした」
選考について、大きな問題がいわゆる一発屋がいること、と考えていた。例えば、福岡国際マラソンだけに照準を合わせ、そこで偶然好成績を収めると日本代表に選ばれることもある。