<記念日にフレンチ行く約束をドタキャンされたり、お歳暮?の送り先をはぐらかされて教えてもらえなかったり、遅くまで仕事で飲み歩いて、手料理食べてもらえないなんて、女を泣かせる要素しかない>
<半沢直樹で妻像(内助の功的な)はまじでげんなりするというか、あの部分だけ時代劇的に昔は大変だったんだなあと思って見てる>
ドラマ自体には好意的だが、まるで「昭和妻」のような花の振る舞いには批判的な声も上がる。その上で、
<半沢直樹のような影響力のあるドラマを、子育てとの両立とか、テレワークという要素を入れて製作してもらえないかな>
というツイートもあった。たしかに、男女共同参画社会や働き方改革の文脈からみれば、半沢と花との関係性は“前時代的”に映る部分もある。制作側が花をこのような設定にしたのは、何か理由があるのだろうか。
元上智大教授でメディア文化評論家の碓井広義氏はこう分析する。
「ドラマでは半沢が剣道をするシーンが象徴的に描かれているように、半沢を“武士”になぞらえて行動させています。ひきょうな裏取引をせず、相手には正対して勝負を挑む、そこに正義があるという姿です。その意味で、花の役割は『武士の妻』なのです。理屈抜きで夫の味方となり、言うべき事は言っても最後は夫の行動を見守って支援をする。そこに視聴者は安心感を覚えるし、よりドラマに感情移入しやすくなる効果も狙っているのではないか。1回の放送で1シーンしか花を登場させないのも、花の印象を強く残すための戦略だと思います」
そして、この花の描かれ方には、ドラマが大ヒットしている要因も隠されていると話す。
「続編といえども、安易に視聴者にこびない姿勢には、多くの人が共感しているはずです。たとえば、花の設定にジェンダー的な批判があるのは、制作陣は織り込み済みだった気がします。7年前に比べれば時代も変わったし、それに合わせることもできたはずです。でも、もし花の自我を前面に押し出して直樹とバチバチやり合うようにさせたら、ドラマでは息をつく時間がなくなってしまう。花の設定は、物語に緩急をつけて、次のハラハラ、ドキドキにつなげるためには必然だったのです。花の人物像を貫いたのは、制作陣の“覚悟”の表れでしょう」
さまざまな意見が出るのもまた、国民的ドラマの宿命といえる。ともあれ、花と半沢の夫婦劇は、このドラマのもう一つの見どころとなりそうだ。(取材・文=AERAdot.編集部・作田裕史/宮本エミ)