【夫】木村光希 [32]、納棺士、ディパーチャーズ・ジャパン代表取締役:1988年、北海道生まれ。映画「おくりびと」で技術指導も務めた父に幼少から納棺の作法を学ぶ。2013年に「おくりびとアカデミー」「一般社団法人日本納棺士技能協会」を、15年に「ディパーチャーズ・ジャパン」を設立。著書に『だれかの記憶に生きていく』(朝日新聞出版)/【妻】木村真由 [30]ディパーチャーズ・ジャパン総務:1990年、北海道生まれ。2011年、札幌ビューティーアート専門学校トータルビューティー科卒業。14年に上京。夫の会社を手伝いながら、長女が生まれるまでは、カフェなどでアルバイトもした(鈴木芳果)
【夫】木村光希 [32]、納棺士、ディパーチャーズ・ジャパン代表取締役:1988年、北海道生まれ。映画「おくりびと」で技術指導も務めた父に幼少から納棺の作法を学ぶ。2013年に「おくりびとアカデミー」「一般社団法人日本納棺士技能協会」を、15年に「ディパーチャーズ・ジャパン」を設立。著書に『だれかの記憶に生きていく』(朝日新聞出版)/【妻】木村真由 [30]ディパーチャーズ・ジャパン総務:1990年、北海道生まれ。2011年、札幌ビューティーアート専門学校トータルビューティー科卒業。14年に上京。夫の会社を手伝いながら、長女が生まれるまでは、カフェなどでアルバイトもした(鈴木芳果)
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 AERAの連載「はたらく夫婦カンケイ」では、「働くこと」をテーマに夫婦の出会いから結婚までの道のり、結婚後の家計や家事分担など、それぞれの視点から見た夫婦の関係を紹介します。AERA 2020年12月28日-2021年1月4日合併号では、納棺士の木村光希さん、妻の真由さん夫婦について取り上げました。

*  *  *

夫26歳、妻24歳で結婚。長女(2)との3人家族。
【出会いは?】 夫が札幌に帰省したとき、友人の紹介で妻と出会う。
結婚までの道のりは? 1年ほどの遠距離恋愛を経て、結婚を前提に東京で一緒に住む。その約1年後に結婚。
家事や家計の分担は? 家計は夫が担い、家事と育児は主に妻。家にいるときは夫も長女の世話をする。

夫:木村光希[32]
納棺士、ディパーチャーズ・ジャパン 代表取締役
きむら・こうき◆1988年、北海道生まれ。映画「おくりびと」で技術指導も務めた父に幼少から納棺の作法を学ぶ。2013年に「おくりびとアカデミー」「一般社団法人日本納棺士技能協会」を、15年に「ディパーチャーズ・ジャパン」を設立。著書に『だれかの記憶に生きていく』(朝日新聞出版)

 妻と出会ったのは、飲み会の席です。当時、僕は東京で、人生の終末期をサポートする「納棺士」のプロを養成する学校と協会を立ち上げたばかり。交際は遠距離恋愛から始まりました。

 デートは月2回ほど。付き合い始めた頃は、仕事で精いっぱいで将来を考える余裕はありませんでした。でも、彼女との時間にやすらぎを感じ、結婚を考えるように。両親の許しを得て東京で一緒に住み始め、1年後に結婚。その1年後に結婚式を挙げました。

 妻は出会ったときから、僕の仕事をすんなりと受け入れ、理解してくれています。ときどき妻は、納棺とはどういう儀式なのかを知ってもらうイベントで、亡くなった方の役をしてくれることもあるんです。彼女のご両親が「素晴らしい仕事」と応援してくれているのも心強いです。

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