■霞が関のキャリア官僚から実現した田舎暮らし

 任務終了後に定住した協力隊が、新たに人を呼び寄せる動きもある。NPO法人たけのかぞく(豊岡市竹野町)理事長の小谷芙蓉(ふよう)さん(34)は、豊岡市の元協力隊だ。

 たけのかぞくでは、竹野への移住者を増やすため空き家や仕事の情報を発信するほか、移住希望者の相談にあたっている。小谷さんらの活躍もあり、豊岡市への移住者は20年12月時点で75人。昨年度の56人を大きく上回る。

 19年度からは特産品の開発・販売事業も開始した。漁網や漁船のスクリューに絡み、漁師から厄介ものにされてきたアカモク(ホンダワラ科の海藻)を乾燥させ、食物繊維やミネラルが豊富な「藻食健美 乾燥あかもく」の販売も始めた。19年度の事業収入は約680万円。常勤職員は小谷さん1人だけだが、NPOの活動だけで生計をたてられるまでになっている。

 小谷さんは大学卒業後、自然環境業務を行うレンジャーとして働くことを希望し、09年4月に環境省にキャリア官僚として入省した。霞が関の本省勤務を経て、3年目からは念願の現場レンジャーとして国立公園の管理にあたった。それが現在暮らす竹野町エリアも含む、山陰海岸国立公園だった。

 竹野での生活はすべてが新鮮だった。春夏秋冬にメリハリがあり、海も山も姿を変える。夏は観光客で賑わう竹野浜海水浴場が徒歩圏内にあり、こんな綺麗な海をプライベートビーチのように使える贅沢さに感動した。

 ただ、その生活は3年で終わった。14年には再び霞が関へ。官僚は激務で、特に国会開会中は、野党議員からの質問通告を待ち、質問の意図がわからなければ、ヒアリングに行く。答弁書を作成したり、答弁する大臣に説明したり、国会対応に明け暮れる。

「9時くらいに登庁し、退庁は早くて22時。終電がなくタクシーで帰る日や土日登庁もあり、各省庁にはもっとハードな部署もありましたが、このままでは体が壊れると思いました」(小谷さん)

 夏休み、休暇を使って竹野浜海水浴場で開催される花火大会に向かった。

 やはり、ここで暮らしたい。

 だけど、どうして生計を立てていけばいいのか──。竹野で働いていた当時に仲良くなった地元住民に相談すると、役場が協力隊を募集していることを知った。迷いはなかった。

「なぜ、こんな素晴らしい環境なのに、若者が都会に出て戻ってこないのか不思議に思った。自分の大好きな竹野をみんなに知って欲しい」と、協力隊2年目にたけのかぞくを設立した。

 協力隊という制度について、小谷さんはこう話した。

「自分は何ができるのかわからない状況でも田舎暮らしをスタートすることができ、実現に向けて3年の準備期間が与えられる。その間に、地域との関係を作ったり、地域のニーズを調べたりすることもできます。地方での生活に憧れる人にとって、うまく活用できれば有効な制度だと思います」

 目下、コロナ移住者はリモートワークの普及した一部の大企業やITベンチャー企業の社員に限られるのが現状だ。退任後の保証はないが、協力隊がコロナ下で地方移住に関心を持つ人たちの希望になっている。(フリーランス記者・澤田晃宏)

AERA 2021年2月8日号