豊岡市には4月、演劇を必須科目とする芸術文化観光専門職大学が開校する。その初代学長予定者が、世界的にも知られる劇作家・演出家の平田オリザさんだ。自ら主宰する劇団「青年団」を引き連れ、19年に平田さん自身も豊岡市に移住。豊岡演劇祭を5年でアジア最大、10年で世界有数の国際演劇祭にすることを目指して、19年に第0回「豊岡演劇祭」をプレ開催した。20年から本格的に豊岡演劇祭として開催している。

 加藤さんは芸術大学を卒業後、19年に都内の制作プロデュース会社に就職。イベントの企画宣伝や海外のビジターの手配など、充実した日々を送っていたが、コロナで状況は一変した。

 イベントは次々と延期になり、緊急事態宣言が発令された4月には、全ての活動が一旦停止の状況に。契約社員として入社した加藤さんは、7月末に契約更新を控えていた。知人を辿って新しい働き口を探すも、業界全体が新しい雇用を担保できるほどの余裕はない。そんなときに見つけたのが、豊岡市の協力隊の募集広告だった。

「以前から場づくりに興味があり、地域おこし協力隊のことは知っていました。それも、演劇に関する事業の募集で、もうこれしかないと思い、その日のうちに応募書類を書き始めました」

 書類選考、Zoomでの面接を経て、8月末には豊岡市に移住した。着任早々、豊岡演劇祭の事務局業務や、出演アーティストへの対応に追われた。

 協力隊としての加藤さんの給与は21万円。駐車場代込みで家賃6万5千円の住居費(2LDK)に加え、リース会社から借りている車の借り上げ料も協力隊の経費から出る。
 協力隊の約8割は自治体と雇用契約を結び、会計年度任用職員として活動しているが、NPOや観光協会と雇用関係を結ぶケースもある。個人事業主として活動する加藤さんは国民健康保険、国民年金は全額自己負担だが、手取りで15万円以上はある。協力隊としての月140時間の活動をすれば、兼業・副業も認められている。

「東京で働いていたときは給料が安く、家賃の安いシェアハウスに住んでいましたが、手元にお金が残らず、携帯代を親に負担してもらっていました」

 生活も安定し、任務終了後に向け、貯金も始めたいと加藤さんは話す。

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