「勘違いされている方も多いんですが、プロの打者はタイミングさえ取れればいくら速い球でもファウルにできるので、球のスピードがあれば三振を取れるわけではありません。ですからポイントは“伸び”といいますか。正しくは球がミットに入るまで、いかに減速しないか、です。球が“浮き上がる”ということに関しては、自分でも感じたことは何回かあります。マウンドの上からストライクゾーンに投げれば実質的には球が落ちるのが正しいですし、球が浮き上がることは絶対にないとおっしゃる方はたくさんいます。でも視覚として球が浮き上がっていくという感覚があったのは事実です。うまく回転させたという時にふわんと球が上がる感覚。もし浮いているとすればですが30センチ程度、浮いたなという感じ。本当に何回かですが」
球が浮き上がるのは、球の回転に秘密があるという研究データもある。江川の球の回転軸は地面ときっちり平行であり、通常の投手ではできないこの芸当が球を浮き上がらせたという一つの推論だ。そんな球を投げられたと感じた瞬間は、やはり至上の快感が全身をほとばしったのではないかと本人に聞いてみた。
「そうですね。人間によって重力が発見され、この重力に逆らって球が浮く。これを目指していた感じでしたから。物理学の専門家からすればそんなことはあるはずがないと言われるかもしれませんけど」
■モチベーションの源にあった究極の感覚
こうした言葉の数々から、江川という投手にとって誰にもなし得ない「浮き上がる球」の実現がモチベーションの一つになっていたと窺い知れる。そう、取材前にいまいちど考えた時、筆者にとって最大の興味は江川のモチベーションがどこにあったのかという点だった。重力に逆らうボールを投げることに加え、そのこだわりは果たして勝利数か、三振奪取数か、ライバルとの対戦か。
「ライバルはと聞かれると自分になってしまうんですよね。前年度の自分に負けないということでやっていくしかないと思って、プレーしていましたし。もちろん阪神でいえば掛布(雅之)さん、先輩なら山本浩二さん、パ・リーグなら落合(博満)さん、一緒にやっている中では西本(聖)など、負けられない相手は一人ということではありませんでしたね。こういう話をすると決まって定岡(正二)が自分も入れてくれと言うんですが、そこはダメだと(笑)。まあ冗談で」