昭和のプロ野球史を彩った名選手たちの雄姿は、私たちの脳裏に深く刻まれている。そんな名選手たちに、長い野球人生の中で喜びや悔しさとともに今も思い出す、忘れられない「あの一球」を振り返ってもらった。全4回の短期集中連載最終回は、「怪物」として数々の伝説を残した江川卓さんに聞いた。(宇都宮ミゲル)
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これまで、何人ものレジェンドと対面した。そしてインタビューの中ではそれぞれのレジェンドが、かつてのライバル、自らにとっての難敵について熱く語ってくれた。そこで最も多く登場した名前が江川卓である。だからこそ、伝説の怪物に是が非でも会いたかった。とにかくその言葉の一つひとつを丁寧に紹介していきたい。
まずは、実に多くのレジェンド達が史上最高の投手として名を挙げた事実について告げると、江川は一瞬、困惑した表情を見せながらもこう話した。
「真っ直ぐは確かに自信を持っていました。ただ、三、四年目くらいでしょうか。肩を痛めまして、プロ野球生活九年のうち前半の半分はスピードだけで抑えていくといった投球でしたが、後半の半分は肩の痛い状態で投げていたということになります。ですから肩を痛めてからはコントロールがないと生きていけないと思って、ボールを半個分、外したり入れたりという作業を練習でも行って、乗り切ったという印象、それが本音です。キャリアの前半、後半にはこうした違いがあったとしか言えません」
では本人も認めるキャリア前半、スピードに自信があった時代のボールはどのような種類のものだったかを訊ねていきたい。具体的にはプロ入りした一九七九年から、セ・リーグ最多勝を獲得した翌年の一九八二年あたりまでのおよそ四年間。この時代の江川をライブで見られた我々はつくづく幸せだった。そのボールを目にした打者は口々に「ボールが浮き上がって見えた」と話し、そのスピードは他投手とは別次元にも見えた。三年連続奪三振王としてセ・リーグに君臨した時代でもある。