「とにかく勉強をしろ」という家で、小さな頃から家庭教師の先生がついていたりもしたんですけど、その先生に中学の時には常に相談をしていたんです。

「どうやって、母親を殺そうか」という相談を。

 もちろん、先生からは「それはやめておきなさい」という答えがくるわけですけど、それでも、相談を続ける。そんな毎日でした。

 その時期は、普通にイスに座っていても、常にグルグル部屋が回転しているというか。自分が逆さを向いているのか、下を向いてるのかも分からない。動悸、息切れですぐに倒れてしまう。そんな状況でした。

「なんとかして、死んでくれないか」。でも、自分で手をかけたら、自分の人生がなくなってしまう。

 高校進学を控えた頃、母親がかまをかけてきたんだと思うんですけど「お母さんが自分で電車に飛び込んだりしてもいいんか」と言ってきたんです。

 僕からしたら、自分が手をくださずに死んでくれるなんて正直メチャクチャありがたいことだと思って「うん」と答えました。

「ホンマにエエんか」と何回聞かれても、その度に「うん」と答えました。

 最後に、母親が「分かった」と言って、僕の部屋を出て行きました。僕は心の中でガッツポーズをとりました。ただ、何日たっても普通に母親は暮らしている。

「なんで死んでくれへんねん」。またそれで落胆する。良い悪いではなく、事実として、そんな思いで毎日を過ごしていました。

 高校を出て、まだ少しは話をしていた父が自殺し、それまで経営していた居酒屋も父の名義になっていたことなどが絡んで手放すことになり、もう完全に生きる気力を失いました。

 20代前半。リュックに自殺に使うロープを入れて東南アジアを放浪する旅に行くことにしました。

 死のうと思ったら、死のう。日本から持って行ったお金が無くなったら無くなったで死ねばいい。死ぬための旅です。

 その旅が数カ月続いた頃、偶然会った日本の方から「ダウンタウン」の松本人志さんが「伝説の教師」というドラマに出ていることを聞きました。

 僕は「ダウンタウン」さんが大好きで、どうしてもそれを見たくなった。そこで、劇中、松本さん演じる教師が自殺について語る場面があったんです。それを見て、自殺することはやめて、芸人を目指すことにしたんです。

 芸人の世界に入った時で、すでに20代後半。遅いデビューではあるので、それまで何があったのか、先輩方から尋ねられることも多かったんです。

 そこで、あったことをそのままお話ししていたら、皆さん、すごく興味を持って聞いてくださるんです。

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前向きにさせてくれた、たむらけんじの一言