撮影:中西正男
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アニメ「機動戦士ガンダム」の主人公、アムロ・レイのモノマネを武器に、テレビ朝日「笑いの金メダル」などで知名度を得たピン芸人の若井おさむさん(48)。今年1月、YouTube「吉本中尾班YouTube劇場×街録ch」内で語った壮絶な人生が話題となり、再び注目を集めてもいますが、これまでの思い。そして、今の思い。きれいごとでは済まない剥き出しの感情を吐露しました。(構成:中西正男)

【写真】若井おさむを救った芸人のひとりはこの人

 動画がアップされて、本当にたくさんの方々からコメントもいただきました。

 これまでのあらゆることよりも、反響は大きかったと思います。

 その大きさから、逆に、いかに自分が“特別な生き方”をしてきたかを感じもしました。

 僕自身は、そこまで自分が特別だとは思っていなかったので、反響からそこを再確認した気がしています。

 インタビューを受けた後は、ある意味、家族の暴露話みたいな形にもなったので「あんなことを言って良かったんだろうか」と自分の中で、すごく落ち込んだ部分もあったんです。

 ただ、そこの僕の思いは何もウソではないし、想像以上の反響をいただき、一歩を踏み出した意味はあったのかなと感じているのが今の思いです。

 母親には、幼稚園の頃から何かあるたびシバかれたり、マッチを擦ってお尻に押し付けられたりしていました。兄からもすぐに殴られる。

 恐い存在というか、ハッキリと「この人らのことを、自分は嫌いや」と思って育ちました。

 もともと、可愛がってもらっていたけど、何かがきっかけで変わったとかではなく、僕が覚えている限り、最初からそうでした。

 僕はおばあさん子で、毎日、母方のおばあさんの家に寄って、そこから小学校に行って、また小学校からおばあさんの家に行く。両親が共働きやったんで、母親が帰ってくる時間になったら家に戻って寝るみたいな形をとっていました。

 これは僕が後に大きくなってからおばあさんから聞いたんですけど、幼稚園の頃から、僕はおばあさんに言っていたそうです。

「なんで、おばあちゃんはお母さんを産んだの?お母さんさえ産まへんかったら、僕、産まれてこんでもよかったのに」と。

 改めて、昔の話を少しさせてもらうと、幼稚園くらいから16歳くらいまでは人生のグラフみたいなものがあるとすると、ずっとどん底でした。

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「どうやって母親を殺そうか」と相談した