誤審でチャンスを逃したばかりでなく、打球の不運も追い打ちをかけ、初戦敗退に泣いたのが、89年の北海だ。

 2回戦の桜ヶ丘戦、2点を追う北海は7回1死一、三塁のチャンスに、3番・榊世志明がスクイズを試みた。だが、打球は地面に跳ね返って榊世の右手に当たったあと、捕手の前に転がった。本来ならファウルだが、当たったのが見えなかったのか、判定は「フェア!」。

 直後、三塁走者・原田博文は、タッチをうまくかわし、本塁にスライディングしながら、左手でベースタッチ。好走塁で1点を返したかに思われた。

 ところが、球審は「(ベースに)タッチしていない」と生還を認めず、原田は追いかけてきた捕手にタッチされ、アウトになった。

「左手の指の先に土が付いていた。ベースに指の跡もあった。確かに触った自信はあるのに……」と納得できない原田だったが、判定は覆らない。1点は幻と消えた。

 さらに2対6とリードを広げられた8回、北海は無死一塁で、5番・土谷秀一が左中間を深々と破る快打を放つ。一塁走者が生還したが、打球が外野フェンスの大会看板の溝に入るという前代未聞の珍事からエンタイトル二塁打とされ、走者は三塁に戻されてしまう。

 打った土谷も「当たりは完全な三塁打。どうして二塁に戻れと言われたのかわからなかった」と首を捻った。不可抗力としか言いようがない。

 7回の誤審に続き、今度は打球の不運で得点できなかった北海は、無死二、三塁のチャンスも生かせず、夏の大会で7回連続初戦敗退。2回の攻撃中、リードを取った三塁走者が、前日の雨でぬかるんだグラウンドに足を取られ、2度にわたってけん制アウトになったのも痛かった。

 ツイてないときは、何をやっても裏目……。これも甲子園の怖さである。

 審判の勘違いから併殺が取り消される珍事が起きたのが、17年の1回戦、智弁和歌山vs興南だ。

 9回に冨田泰成の左前タイムリーで9対6とリードを広げた智弁は、なおも1死一塁で、次打者・西川晋太郎のカウント1-1からの3球目に冨田が二盗を試みた。西川が空振りして捕手の二塁送球を妨げたと判断した球審は、守備妨害でアウトを宣告。富田もタッチアウトになり、結果的に併殺でスリーアウトチェンジになった。

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判定が覆った“歴史的事件”も