長年にわたって池田高校を率いた蔦文也監督 (c)朝日新聞社
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 悪天候やコロナ禍拡大など、アクシデントが続くなか、連日、球児たちが熱戦を繰り広げている夏の甲子園だが、熱戦を終えたあとの監督の言葉も人間味に溢れ、味わい深いものが多い。

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 過去の大会から、歴戦の名将たちが口にした記憶に残る名言、珍言の数々を紹介しよう。

 まずは優勝監督の言葉から。

「88回待ちました」

 2006年、早稲田実は、“ハンカチ王子”の愛称で人気者になったエース・斎藤佑樹が力投。決勝では、夏3連覇に王手をかけた駒大苫小牧を、延長15回引き分け再試合の末、4対3で下し、夏の甲子園初Vを実現した。

 直後の優勝インタビューで、和泉実監督は「88回待ちました。88回待って、その歴史で勝てました」と叫ぶように答え、第1回大会から出場していた同校が、88回目の夏の大会で悲願の優勝をはたした喜びを表現した。

 和泉監督によれば、この言葉は自分で考えたものではなく、以前OBに言われて記憶に残っていた言葉が、お立ち台に立った瞬間、口をついて出たのだという。

「この日が来るのを県民とともに待っていました」

 10年、左腕・島袋洋奨(元ソフトバンク)と強力打線の投打がかみ合った興南は、決勝で東海大相模に13対1と大勝し、史上6校目の春夏連覇を成し遂げるとともに、沖縄県勢として初の夏制覇を実現した。

 68年に同校の4番・主将として沖縄代表として初の4強入りをはたした我喜屋優監督は「この日が来るのを県民とともに待っていました」と感慨深げに語り、「常日頃から小さいことに全力で取り組む“ちびっ子軍団”がこんなに大きなことをやるとは思っていませんでした。甲子園を自分の庭として、生まれ変わっていきました」とナインをたたえた。

「今日は神様、飯島様だなあ」

 03年、木内幸男監督率いる常総学院は、決勝で“みちのくの怪腕”ダルビッシュ有の東北と対戦。2回に2点を先行され、3回も無死二塁のピンチを迎えたが、もう1点もやれない重要局面でリリーフした背番号10の飯島秀明が9回まで無失点に抑え、4対2の逆転勝利を呼び込んだ。

 取手二時代の84年と併せて2度目の夏制覇を実現した木内監督は、冒頭の言葉で飯島に感謝し、「準決勝、そして今日と私は何もしていない。子供たちが勝たせてくれた試合。これでやっと私の手から離れていった」と感無量の面持ちだった。

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