次は球史に残る大熱戦を終えたあとに、監督が思わず口にした言葉を紹介する。

「選手一人一人を抱きしめてやりたい」

 79年、星稜は3回戦で春夏連覇を狙う箕島に延長18回の激闘の末、3対4と惜敗したが、最後までベストを尽くしたナインの姿に感動した山下智茂監督は試合後、男泣きしながら、冒頭の言葉でその健闘をたたえ、「ウチも頑張ったが、箕島は素晴らしいチームだ。対戦できたことを誇りにしたい」と勝者にもエールを贈った。

 山下監督といえば、92年の明徳義塾戦で、主砲・松井秀喜が5打席連続敬遠され、2対3で敗れたあと、「高校野球は男と男の勝負の場だと指導してきました。(敬遠されても大人の態度を貫いた)松井を褒めてやりたい。これからの人生、堂々と勝負してほしい」と励ました言葉も印象深い。

「リトルマシンガンには成長したかな」

 09年、日本文理は新潟県勢で初の決勝進出をはたし、決勝の中京大中京戦では、4対10と大きくリードされた9回2死無走者から怒涛の猛反撃で1点差まで詰め寄る驚異的な粘りを見せた。

 最後の打者の猛ライナーが三塁手の正面を衝き、惜しくも準優勝に終わったが、大井道夫監督は「いやー、この子供たちは本当にすごいね。大したものだ。最後の回はとにかく思い切って行け、行けですよ。ウチの野球をここまでやり遂げたんですよ。みんな笑顔で胸張って帰ろう」と大健闘のナインを労った。

 前年秋の新チーム結成後、「打ち勝つ野球」を目指したが、なかなか成果が出ず、「お前たちは火縄銃だ」と酷評したこともあった指揮官は、決勝までの5試合すべてで二桁安打を記録した打線に「リトルマシンガンには成長したかな」と目を細めた。

 勇退を発表し、甲子園で最後の采配となった17年には、2回戦で仙台育英に0対1で敗れたあと「甲子園でユニホームを脱げるなんて、私は幸せ者だね」としみじみ語っている。

 最後は番外編。甲子園のベンチに入らず、宿舎で布団の上にあぐらをかきながら、テレビ観戦していたのが、91年の池田・蔦文也監督だ。

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「甲子園には14回も来とる。もう飽きたよ」