

かつての起業家が「意思ある投資家」として、次世代の起業家を育てる。そんな循環の中心にいる人々に迫る短期集中連載。第1シリーズの第3回は、企業の受付から起業家に転身した、ベンチャー企業RECEPTIONIST(レセプショニスト)のCEO・橋本真理子(39)だ。AERA 2021年9月6日号の記事の2回目。
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最初に派遣されたのは渋谷に本社を置くITサービス大手のトランスコスモス。定時で仕事を終えて、後は合コン。そんな思い込みは初日で吹っ飛んだ。
先輩たちは始業のはるか前に出社し、身なりや髪形をきっちり整えてから受付につく。来客があれば用紙に記入をお願いし、その間に社員を呼び出す。客を応接室まで案内したら、頃合いを見計らってお茶を出す。給茶器でピッではなく、人数分をきちんと急須で淹れる。大きな会議だと一度に20杯出した。
プライドを持って働く先輩たちに教わったのは、「受付は舞台、私たちは女優」「受付はチームプレー」という心構え。「急いでいても走ってはいけない」「社員がすぐに捕まらない時は一人が内線をかけ続け、もう一人が応接室へ案内する」。そこには“受付道”と呼べるほどの機能美と様式美があった。
■色あせた正社員の座
橋本はここで2年近く基礎を学び、USENに移る。東京ミッドタウンに移転する07年3月のタイミングで、6人の受付を置くことにしていた。このうち2人は芸能事務所から派遣されると決まっていた。橋本は高倍率の面接をくぐり抜け、四つの椅子の一つを勝ち取った。その後、がんを患った父と、気落ちした母の面倒を見るためしばらく実家に戻った。状況が落ち着くと再び上京し、今度はSNS大手ミクシィの受付になった。気付けば30歳になっていた。
受付の世界には「30歳が限界」という暗黙のルールがある。この年齢を境に派遣を受け入れる会社ががっくりと減る。「この仕事はここが最後」。そう心に決めて、冒頭のGMOに移った。だが急成長したGMOには“受付道”が根付いていなかった。橋本は業務改善のリーダーを任された。腰掛け気分だった若手は彼女に感化され、プロ意識を持つようになった。