大学卒業後は里親と息子の暮らす町に移住し、里親家庭の近くで息子との生活を始めるつもりで準備を進めている。ゆりさんの場合は、孤立出産で医師の出生証明書がないため、赤ちゃんは出生届が提出されておらず無戸籍だった。本市児相がゆりさんの安全を考慮して保護者への連絡を控え、ゆりさんは20歳を待って親から分籍し、単独戸籍を取得した。止まっていた赤ちゃんの出生届と戸籍の手続きも再開している。

 厚生労働省の調査では、2018年度の1年間に把握した子どもの虐待死亡事例64例の中で、遺棄は17例。そのうち13例が予期せぬ妊娠だった。

「ゆりさんのことがあって、『内密出産』をいっそう真剣に考えるようになりました」

 こう話すのは、慈恵病院新生児相談室長の蓮田真琴さんだ。

「今の法律からこぼれてしまう内密出産を必要とする人は、数は多くないかもしれませんが確実にいることをゆりさんが教えてくれました」

■事件は紙一重だった

 内密出産とは、妊婦が特定の関係者のみに身元を明かして出産し、赤ちゃんの出生届は母親の欄を空欄にして提出できる。赤ちゃんは児童相談所を経て特別養子縁組で育つが、将来実親を知りたいと希望すれば身元情報の開示を受けることができるというものだ。同院はゆりかごから一歩踏み込んで、17年12月、内密出産に取り組む意思を表明したが、法務省は「内密出産の個別ケースについて想定ができるものではない」として、運用に慎重な姿勢を崩していない。

 ゆりかごに預け入れた女性のうち、病院が接触に成功したケースでは、子どもの頃に虐待を受けたり、精神障害があったりしたが必要な支援を受けられていなかった人が8、9割を占めると慈恵病院は見ている。

 赤ちゃんの遺棄事件のニュースを見るたびに、自分も紙一重の状態だったとゆりさんは胸が痛くなる。産んだ女性への批判をネットで読むと、自分に向けられたようで気持ちが沈んだ。

「本当は病院で出産したかった。相談窓口があるのは知ってましたが、未成年と言えば親に連絡ってなるのは目に見えてた」

 児童養護施設の虐待問題をはじめ子どもの側に立った弁護に取り組む弁護士の掛川亜季さんは、正しい性教育があれば防ぐことのできた遺棄事件は多いと指摘する。その上で、親権の問題を考慮すると親に伏せての出産は現行法では難しい、内密出産については検討課題だという。

「虐待を受けた未成年が出産する場合、逆に、親に伝えた上でいかに当事者を守るか、福祉や医療と法律が組んだ支援体制づくりに力を入れることの方が今は現実的。まず当事者が相談できること。民間相談機関は児童福祉に強い弁護士とのネットワークもある。弁護士は守秘義務は守ります。安心してまず民間相談機関につながってほしい」

 予期せぬ妊娠により産婦人科受診をしないまま臨月まで一人で不安に過ごす女性たちに、内密出産という扉が開いていることの意味は大きい。6月に本誌の内密出産についての企画で取材した18歳の「いちごちゃん」は、ここでなら匿名で安全に産めることを心の支えに慈恵病院にたどり着いた。今は地元で赤ちゃんと元気に暮らしている。

■制度がないならつくる

 ゆりかごに関する熊本市検証委員会委員長の安部計彦・西南学院大学教授は、北九州市児童相談所で心理判定員として現場を20年近く経験した。現在、厚労省の児童虐待に関する専門委員会メンバーも務め、0歳児虐待死亡を減らすために内密出産は必要との立場をとる。

「社会福祉にソーシャルアクションという考え方があります。現場の支援のために使える制度がなかったら制度をつくることを指します。社会福祉の人間からすると、制度がないからやらないということではない。例えば子ども食堂はソーシャルアクションから制度が生まれた象徴的な例です。内密出産も、ソーシャルアクションから開かれる可能性はある」

 育てたいのに育てるための助けを求めるすべを知らなかった女性は、遺棄した17人の中にも隠れている。(ノンフィクションライター・三宅玲子)

AERA 2021年9月27日号

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