阪急西宮スタジアムでの試合でバットを振るう(星島洋二/アフロ)
阪急西宮スタジアムでの試合でバットを振るう(星島洋二/アフロ)

■ようやく脳裏に蘇った、一つのシーン

 ならば、福本にとって生涯忘れられない一球とはどんなシーンなのか。筆者はしつこく食い下がった。たとえば一九七二年、シーズン106個の盗塁を決めた時などはと聞いてみる。

「いやあでも、あの時は初めて打率3割超えてて、もう優勝も決めてるし、監督から休んどけと言われてるような感じやったし」

 と、その時、福本の脳裏に一つのシーンが蘇ったように見えた。ようやく「あれやな」という確信に満ちた表情で口にしたあるシーンは、一九七八年の日本シリーズ。阪急対ヤクルトの第四戦での一コマだ。ここまで阪急二勝、ヤクルト一勝で、この試合、阪急が勝てば王手の状況だった。スコアは4対5で阪急1点リード。九回表を抑えれば勝ちという状況である。ピッチャーはなんとかここまで投げてきた今井雄太郎。打席にはヤクルトの巧打者、デーブ・ヒルトンが立った。

「ボール放りゃいいのにストライクゾーンにカーブ投げて、ボコーンとホームランですわ。それで逆転、負けてんのよ、その試合。なんでカーブ放るねんて。ヒルトン、カーブ好きやのにって」

 このホームランで勝利を目前で逃すことになった阪急。ここでの逆転劇をターニングポイントにヤクルトが勢いを取り戻すことに。結局、シリーズは四勝三敗でヤクルトが日本一を達成。確かにシリーズの明暗を分けた重要な場面ではあった。それにしても福本が今井に対して「なんで?」と思う背景には、きちんとした理由がある。

「試合前のミーティングでヤクルトのデータとかみんなで確認するやん。そん時もミーティングでヒルトンにカーブを放ったらあかんでって言っとったからね。ヒルトンへのカーブだけは忘れるなと、はっきり(笑)。それでまんまとホームラン打たれて。自分はセンターで見ててね。もう、ミーティングで言うたやろうと(笑)。今井の雄ちゃん、それ、ちゃんと聞いてたやろうと(笑)」

■盗塁記録が破られる日は来るのか?

 愛情とユーモアたっぷりに今井の失投について語った福本。なんだか日本一のスピードスターらしくない「記憶に残る一球」だと筆者は一瞬、思ったが、そもそも、究極の盗塁シーンについて話し始めるだろうとこちらが勝手に期待しすぎていたのもあった。なにより、ヒルトンへの失投についての描写が実に味わい深くもあり、面白おかしくもある。自身の盗塁にまつわるエピソードでは格好つけ過ぎだと、控えめな態度をとったのかもしれなかった。

 終始、サービス精神たっぷりに、そしてあくまで謙虚に、かつての記憶を掘り出してくれた。最後に、自身の盗塁記録が誰かに破られる可能性について聞いてみる。

「いやあ、そら分かりませんで。今は昔より試合数も多いやろ。まあ走れる選手はおるやろうけど、そこまでやるか、でしょうね」

(次号は江川卓さんです)

※単行本『一球の記憶』は、村田兆治、山田久志、石毛宏典、高橋慶彦(敬称略)など合計37名のインタビューを加えて2月下旬に朝日新聞出版から発売予定です。定価2178円(税込み)

週刊朝日  2023年2月3日号

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