盗塁談義をひとしきり終え、「記憶に残る一球」について聞くと福本は低くうなりながら、記憶を絞り出し始めた。
「なんやろねー、うーん、ないですねぇ」
そこで筆者は、盗塁の世界記録を抜き去った一九八三年六月、西武との試合はどうかと話を振ってみる。通算939個目の盗塁を決めた瞬間。「そうやね」という答えを期待したが、本人は全く逆の返答で応じたのだ。
「いやいや、それはもう一番、おもろない盗塁ですよ。だってもう5点もリードされててボロ負けでしょう。なんで九回に走らなあかんねんていう。普通、シーズン中やったら5点差つけられて走らんかったし。明日、やったらええなと思うてたんですよ」
状況としてはあと一つの盗塁で世界記録を抜くという九回表。四球で塁に出た福本が次バッターの内野ゴロで二塁に進んだ状態。走っても試合に勝ち目はない中、ここでは走らないと決めていたのだ。
「一塁におる時から二番打者にバッテンのサイン出して『盗塁は嫌や』と伝えてあった。そんな気持ちで二塁に行って、ショートの石毛(宏典、ひろみち)にも、今日は走らんからなと言うた。記録のために楽な場面で稼いだと思われてもいややし。それに三盗でしょう。そんなん簡単やし、おもろない」
ところがそんな福本の心境などおかまいなしに、西武バッテリーは二塁への牽制球を繰り返した。盗塁の気配はなく、大きなリードもないのに、である。
「なんかイライラしてきてね。しつこく牽制がくるもんで、もうそれやったら走るわと」
結果はあっさり三盗成功で世界記録を達成。その時のリプレイを見ると、記念の花束を掲げながらも福本には笑みがない。
「自分、通算でも三盗は149個しかしてへんのです。全部の中で約1割くらい。簡単やいうのと、タイムリー出れば二塁からホームへかえれるやろというのもあって三盗は少ない。なのにあん時は走らなあかんようになって。だから記憶に残るもんでもありませんね」