■塁に出たら、とにかく走れ

 100メートル走は11秒そこそこで特段、速いわけではなかったが、新人時代、陸上競技のコーチに一歩一歩が横に広がらず、縦一直線に近い形で足を前に出す走法を学んだことがまず大きかった。だが、当時の監督であった西本幸雄からは具体的な指示などなく、「試合のなかで練習せい」と発破をかけられるのみ。塁に出て、次打者の早いカウントでスタートを切れなかったとなれば、後で監督から「はよ、走らんかい」と言われる始末。ただ、監督は福本のデビューからほどなく自由に走っていいというお墨付きを与え、稀代のランナーが走れる環境を整えてくれていた。

「塁に出たら、とにかく早よ行くんやぞと言われてましたから。あんまり待つと二番打者が困るやろと。そういうこと考えて走れと教えられましたね。たとえば二番の大(忠義)さんがまず塁上の僕に『行けるか?』ってサイン出すんです。そしたら僕が『あきまへん』ってサイン返すと、大熊さんはガーンと打ちます。エンドランも単独盗塁もそうやって二人でサイン出し合って決めてました。楽しかったですよ」

 少ない歩数で加速する能力にはもともと長けていたので、走るコースは無駄なく一直線に、ヘッドスライディングは時間の無駄や怪我が多いので避けるなど、細かい技術を積み上げていく。そして課題として残ったのが、スムーズなスタートを切るためのタイミングだった。駆け出しの時代はピッチャーの癖が分からず、このタイミングを計るのに苦労したと話す。大きなキッカケとなったのは、たまたま知人から譲り受けた8ミリカメラだ。初めは何気なしに自分のプレー映像を見るだけだったが、ある日、操作ミスによって映像が早回しに。チョコマカ動く選手の映像を面白く見入っていたその時、思いもしない発見があった。

「近鉄の鈴木啓示投手が投げてる映像やった。牽制の時と投球の時では動作がほんの少し違うことに気付いた。牽制の時は微妙にアゴが下がるんやけど、捕手への投球の時は塁上の僕と目が合う。別に癖を探してたわけやないんやけど、早送りで何度も見ると『あれ、なんか違うやん』って。他の投手にしても早送りで見ると、牽制と投球の動作の違いを見つけることができた。偶然やったんですけどね」

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