昭和のプロ野球史を彩った名選手たちの雄姿は、私たちの脳裏に深く刻まれている。そんな名選手たちに、長い野球人生の中で喜びや悔しさとともに今も思い出す、忘れられない「あの一球」を振り返ってもらった。全4回の短期集中連載の第3回は、「世界の盗塁王」の異名を取る福本豊さんに聞いた。(宇都宮ミゲル)
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前人未到、通算1065盗塁の日本記録を持つ史上最高の一番打者は自身の経営するバーで待っていた。七十半ばを過ぎた今でも眼光鋭くなかなかの威圧感があるが、話を始めると、冗談たっぷり、表現力豊かでどこまでも気さくな福本豊である。
あらためて現役時代の記録を眺めてみるとやはり度肝を抜かれる。デビュー二年目からの13年連続パ・リーグ盗塁王、そして一九七二年に打ち立てた日本記録であるシーズン106盗塁、日本シリーズ通算14盗塁などなど。七○年代から八○年代前半にかけ、福本の盗塁がなければ阪急の黄金時代はなかったと思える。そんな名手に塁を盗む瞬間のメンタルについてまず聞いてみた。
「自分が走れば走るほど相手は必死になって殺そうとしよる。こっちはそれをかいくぐってセーフになろうと必死や。それがスリルちゅうか面白いし、楽しい。塁に出て、ピッチャー見て7割行けると感じたら走る、それ以下なら走らんと。続けていくうち、いいスタート切れたら100パーセントセーフになるんやなと分かりましたんで、自分としてはギャンブルという感覚はない。シーズン中、いつも考えとったのは自分の次に盗塁の多い選手より10個は多く走ったろと。まあ50くらいはいつでもできるわなという感じですわ」
あっけらかんとした表現の中に、達人らしい境地も透けて見える。現役時代、数だけを追求すれば通算1500盗塁は残せる自信もあったと話す福本。だが、「ボロ勝ちの時に楽勝な盗塁やってもしゃあない」という言葉通り、あくまでチームの勝ちにつながらない盗塁は「つまらん」という理由から、クレバーなランナーとして敵にダメージを与え続けた。