福本豊(ふくもとゆたか)/ 1947年、大阪府生まれ。大鉄高校時代に外野手として夏の甲子園に出場。卒業後は松下電器を経て、1968年のドラフト7位指名を受け、阪急に入団。デビューイヤーから一軍の試合に出場し、1970年からはレギュラーポジションを確保。同年いきなり75盗塁でパ・リーグタイトルを獲得する。この時から一番、センターの座を15年余もキープ。1972年にはシーズン106盗塁(2022年11月現在、日本記録)、13年連続パ・リーグ盗塁王、17年連続二桁盗塁など圧倒的な活躍で阪急の黄金時代を支え続ける。シュアーなバッティング、パンチ力にも長け、3割以上の打率は7度、シーズン最多安打4回、通算本塁打208本、通算三塁打115(2022年11月現在、日本記録)など打者としても好機で期待に応える活躍を見せた。加えて、ダイヤモンドグラブ賞は12年連続12回(最多回数、及び最多連続記録)など俊足を活かした圧倒的な守備力も持ち味であった。通算20年間、阪急一筋、1988年オフに現役を引退。(撮影:宇都宮ミゲル)
福本豊(ふくもとゆたか)/ 1947年、大阪府生まれ。大鉄高校時代に外野手として夏の甲子園に出場。卒業後は松下電器を経て、1968年のドラフト7位指名を受け、阪急に入団。デビューイヤーから一軍の試合に出場し、1970年からはレギュラーポジションを確保。同年いきなり75盗塁でパ・リーグタイトルを獲得する。この時から一番、センターの座を15年余もキープ。1972年にはシーズン106盗塁(2022年11月現在、日本記録)、13年連続パ・リーグ盗塁王、17年連続二桁盗塁など圧倒的な活躍で阪急の黄金時代を支え続ける。シュアーなバッティング、パンチ力にも長け、3割以上の打率は7度、シーズン最多安打4回、通算本塁打208本、通算三塁打115(2022年11月現在、日本記録)など打者としても好機で期待に応える活躍を見せた。加えて、ダイヤモンドグラブ賞は12年連続12回(最多回数、及び最多連続記録)など俊足を活かした圧倒的な守備力も持ち味であった。通算20年間、阪急一筋、1988年オフに現役を引退。(撮影:宇都宮ミゲル)
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 昭和のプロ野球史を彩った名選手たちの雄姿は、私たちの脳裏に深く刻まれている。そんな名選手たちに、長い野球人生の中で喜びや悔しさとともに今も思い出す、忘れられない「あの一球」を振り返ってもらった。全4回の短期集中連載の第3回は、「世界の盗塁王」の異名を取る福本豊さんに聞いた。(宇都宮ミゲル)

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 前人未到、通算1065盗塁の日本記録を持つ史上最高の一番打者は自身の経営するバーで待っていた。七十半ばを過ぎた今でも眼光鋭くなかなかの威圧感があるが、話を始めると、冗談たっぷり、表現力豊かでどこまでも気さくな福本豊である。

 あらためて現役時代の記録を眺めてみるとやはり度肝を抜かれる。デビュー二年目からの13年連続パ・リーグ盗塁王、そして一九七二年に打ち立てた日本記録であるシーズン106盗塁、日本シリーズ通算14盗塁などなど。七○年代から八○年代前半にかけ、福本の盗塁がなければ阪急の黄金時代はなかったと思える。そんな名手に塁を盗む瞬間のメンタルについてまず聞いてみた。

「自分が走れば走るほど相手は必死になって殺そうとしよる。こっちはそれをかいくぐってセーフになろうと必死や。それがスリルちゅうか面白いし、楽しい。塁に出て、ピッチャー見て7割行けると感じたら走る、それ以下なら走らんと。続けていくうち、いいスタート切れたら100パーセントセーフになるんやなと分かりましたんで、自分としてはギャンブルという感覚はない。シーズン中、いつも考えとったのは自分の次に盗塁の多い選手より10個は多く走ったろと。まあ50くらいはいつでもできるわなという感じですわ」

 あっけらかんとした表現の中に、達人らしい境地も透けて見える。現役時代、数だけを追求すれば通算1500盗塁は残せる自信もあったと話す福本。だが、「ボロ勝ちの時に楽勝な盗塁やってもしゃあない」という言葉通り、あくまでチームの勝ちにつながらない盗塁は「つまらん」という理由から、クレバーなランナーとして敵にダメージを与え続けた。

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