巨人時代の小笠原道大

 巨人時代の小笠原道大もその一人だ。

 FA移籍6年目の12年、出場わずか34試合、打率.152、4打点といずれも自己ワーストの成績に終わった小笠原は、4億3000万円から84%ダウンの7000万円でサインした。

 3億6000万円もの大減俸は、同一球団在籍の選手では、10年オフの松中信彦(ソフトバンク)、11年オフの清水直行(DeNA)の2億円を大幅に上回る史上最大の減額だった。10年オフに2年契約を結んだ小笠原は、前年の成績ダウンにもかかわらず、年俸が変わらなかった分、一気にそのリバウンドが来た形だ。

「2年(主力で)やってませんのでね、大方の予想はしていましたけど、契約してもらえるだけで良かったという気持ちで、サインをして、もう来季に頑張ろうという、心一新にして、真っさら状態というか、ゼロからのスタートというか、もう一度スタートを切る感じでやっていきたい」。

 そう言って、出直しを誓った小笠原だったが、すでに39歳と年齢的にピークを過ぎていたこともあり、翌13年も22試合出場で終わり、シーズン後、中日に移籍した。

 この小笠原を超える大減俸となったのが、15年オフの巨人・杉内俊哉だ。

 11年オフにソフトバンクからFA移籍し、巨人と4年20億円の大型契約を結んだ杉内は、契約最終年の15年も前半に6勝を挙げたが、7月後半に右股関節故障で戦線離脱。10月に手術を受け、そのままシーズンを終えた。

巨人時代の杉内俊哉

 さらに翌16年も前半戦の登板が絶望であることから、5億円から4億5000万円(90%)ダウンの5000万円プラス出来高でサインした。

 在籍4年間で計39勝と“5億円プレーヤー”に見合う成績を残せず、「球団やチームメイトに迷惑をかけ、ファンの皆様の期待を裏切ってしまった」と申し訳なく思った杉内が自ら基本年俸を抑え、出来高をつける契約を申し出たもの。

 ただし、設定された出来高をすべてクリアすれば、減額分もある程度カバーできる契約内容だった。

 杉内自身も「来年以降も巨人軍の背番号18に恥じないピッチングをお見せしていけるよう頑張っていきたい」と復活を期したが、その後も17年に左肩を痛めるなど苦闘の日々が続き、18年まで3年間、1軍登板がないまま、「これ以上は僕のわがままになってしまう」と現役引退。最終年の年俸は2500万円まで下がっていた。

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