「インクルーシブ」「インクルージョン」という言葉を知っていますか? 障害や多様性を排除するのではなく、「共生していく」という意味です。自身も障害のある子どもを持ち、滞在先のハワイでインクルーシブ教育に出合った江利川ちひろさんが、インクルーシブ教育の大切さや日本での課題を伝えます。
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私には、毎年1月になると思い出すエピソードがあります。
何年か前の1月に、私と同じように脳性まひの子どもを育てるママと二人でランチをした時のことです。この日に話した内容は、私の中で「究極のたられば話」として印象に残っています。
今回は、そのことを書いてみようと思います。
■涙の暗黒時期を過ごした時期も
一緒に食事をしたママは、お子さんが2歳の時に、深い悩みの中で私が運営しているNPO法人に連絡をくれた方です。そのお子さんはすでに小学生になっていて、昔話をしたり、お互いの近況を報告していた流れでこんなことを聞かれました。
「ちひろさんは今でも、出産時のことを悔やんだり、ゆうちゃんやこうちゃんが健常児だったら……と考えることはありますか?」
私たちはそれぞれ、子どもの障害を受け止めきれなかった涙の暗黒時期を過ごした経験がありました。
今ではすっかり障害を受け入れ、笑い話になることもたくさんありますが、それでもやはり障害児育児をしているママたちは「もしも○○だったら」や「私が○○していれば」といった「たられば」が、たまに頭に浮かぶのではないでしょうか?
私は双子の娘たちの妊娠中も、年子で生まれた息子の妊娠中も、ウテメリン(子宮収縮抑制剤)の副作用で肝機能障害を起こし、妊娠継続が難しくなり、結果的に3人とも妊娠8カ月で出産しました。そのため長女と息子には障害が残り、身体が不自由です。子どもたちの障害に遺伝性はなく、単純に早産したことによる後遺症とされています。
なのでもちろん、最初の「たられば」は「私が早産しなければ」でした。