ここから浮かび上がるのは、鬼殺隊が鬼を倒すために、破綻寸前の、ギリギリの厳しい状況で戦っているという現実だ。

■「夜の街・遊郭」での戦闘

 すでに何人もの行方不明者を出している、吉原遊郭。不特定多数の人間が出入りし、歓楽街であるがゆえに、遊郭にいる人物の身元をすべて把握することは困難だ。鬼の居場所の特定は難しい。

 遊郭作戦の要となる、音柱・宇髄天元(うずい・てんげん)は「花街は鬼が潜む絶好の場所だ」と言い、そこに「上弦の鬼」が潜んでいること、鬼に有利な夜の戦闘になることも予測していた。どれだけ危険か分かっていながら、宇髄はそこに大切な妻を潜伏させ、自らが傷つくことを恐れずに、鬼と戦おうとする。

 無惨の命令を受けた、遊郭の鬼・堕姫は、「夜」「遊郭」である利点を最大限に活用しようとする。

<そうよ 夜が明けるまで 生きていた奴はいないわ 長い夜は いつもアタシたちを 味方するから>(堕姫/10巻・第88話「倒し方」)

 堕姫の言葉どおり、鬼の真価は闇の中で発揮される。そして、いつの世も、夜は「死の象徴」であった。太陽の下ではなかなか姿を見せない、亡霊、魔物、怪物、そして鬼が、夜になるとうごめき、人間を襲う。人が喰われても、闇夜がその惨劇をおおい隠してしまう。遊郭という閉ざされた空間と、夜の闇の中で、周囲に悟られないままに、被害者は増えてしまう。

■「夜」を切り裂け!

「鬼棲む夜を、切り裂き進め」これは遊郭編の公開にさきがけて発表されたキャッチコピーだが、鬼殺隊は「夜」を終わらせ、太陽の光を人々に届けなくてはならない。

 『鬼滅の刃』にはしばしば神話的なモチーフが含まれるが、太陽の「光」には魔を消し去る”浄化”の作用が、「闇」には”災禍”の意味合いが隠されている。また、この作品の特徴のひとつとして、「夜」には社会から排除されてきたもの、心と記憶の奥底に秘められてきた、孤独、悲哀、苦悩が示されている。光の差しこむ世界とは、災厄のない世の中、人としての穏やかな日々を意味する。

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「夜」とは社会の暗部、人間の闇そのもの