(C)田附勝
(C)田附勝

 ところが、いざ八戸でデコトラを撮り始めようとすると、思いもよらない事態に直面した。新型コロナ感染症のまん延だ。

「『魚人』のときもいろいろな人との出会いがあって、『誰か紹介してもらえませんか』みたい流れで撮影が進んだんだけど、今回は、のんびり撮影する、というわけにはいかなくなった」

 田附さんは周囲に気を配りながら、2カ月ごとに八戸に通い、デコトラを撮影した。

「彼らの話を聞いて、仕事場なんかも写す。漁業関係の場所だったり、ダンプだったら『捨て場』とか。そのへんは昔と変わらないね」

■コロナ過で考えた彼らの役割

 一方、15年あまりをへて、田附さんは撮影に対する意識の変化を実感した。

「もちろん、『飾ってあるトラックを写す』ということもすごく重要なんだけど……」

 田附さんはそう言うと、こう続けた。

「これまで積み重ねてきた作品づくりを通して、そうなったと思うんだけど、その土地と、その人と、トラックが、どういう関係にあるのか、もっと冷静に撮るようになった」

 さらに、コロナ禍での撮影によって、「『物流』の存在に改めて気づかされた」と言う。

「それは、けっこう重要なこと。というのも、日常生活のなかで見過ごされている部分を見直す、みたいなことが俺の作品の大きなテーマだから」

 長引くコロナの自粛生活で広まった「巣ごもり需要」。それを支えたのが彼ら、トラックドライバーだった。

「いま、オンラインで、ピッとやれば、何でも買える時代。だけど、彼らがいなければ、その生活は滞ってしまう。日々、トラックが走っていることは誰もが知っていても、そこにトラックドライバーがいて、そこに関わる人たちみんなが誇りを持って仕事をしている、ということは見えづらい世の中でしょう。今回撮影した全員がそういう仕事をしているわけではないけれど、その代表として、トラックドライバーについて改めて考える。そういう意味では、いい時期だったと思う」

■表現よりも大切なこと

 そして田附さんは、「写真は基本的に、記録でしかないから」と言う。

「もちろん、『表現』も大事だけれど、その前に、いまどういう状況なのか、何が行われているかを写すことのほうがもっと大切。前回の『DECOTORA』や『東北』(リトルモア)を写していたときは、もっと『表現』に目が向いていた。でも、震災によって、『写真を撮るって、記録じゃん』って、気づかされた。そのときに写していなかったら、その日は写らないわけでしょ。そういうことなんじゃないかな」

アサヒカメラ 米倉昭仁)

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