(C)田附勝
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 ギンギラギンに輝くド派手なデコレーショントラック、通称「デコトラ」。写真家・田附勝(たつき・まさる)さんが写真集『DECOTORA』(リトルモア)でデビューしたのは2007年。そして今回、約15年ぶりにデコトラを撮影し、八戸市美術館に作品を展示するとともに(2月20日まで)、『DECOTORA Hachinohe』(T&M Projects)を出版した。田附さんに聞いた。

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 ピカピカのクロムメッキを施した大きなバンパー、きらびやかな電飾に覆われた運転席、派手な絵がペイントされた荷台。

「デコトラに描かれる絵は商売繁盛や安全祈願に関するものが多いけど、自分の愛する人、奥さんとか娘の姿を描くドライバーも少なくない」と、田附さんは説明する。

 さまざまな装飾の豪華さにはドライバーたちの深い思い入れがあり、彼らにとってデコトラは心のよりどころでもあるのだ。

■かつて一大ブームとなったデコトラ

 デコトラの始まりは、昭和40年代、魚を輸送するトラックドライバーが水や塩分から車体を保護するために行った加工といわれる。それが次第に「装飾」としての見栄えが重視されるようになり、ドライバーたちは競い合うようにトラックを派手にしていった。

 そんなデコトラの存在を全国に知らしめたのは、1975年に公開された菅原文太主演の映画「トラック野郎」だろう。映画は大ヒット。シリーズ化され、全10作がつくられた。主人公、星桃次郎とともにスクリーンを爆走したトラック「一番星号」は多くの人々の目に焼きついた。

「俺はいま、47歳だから、リアルタイムで菅原文太の映画を見た世代じゃないけれど、子どものころにそういう映画があったことは知っていた」。昔、映画づくりを志望したという田附さんは、そう話す。

 昭和の時代、トラックドライバーの間で一大ブームとなったデコトラ。しかし、徐々にその姿を見かけることは少なくなっていった。

 デコトラが減った理由について、「トラックを飾るお金をかけられなくなったから」と、田附さんは説明する。

 高度経済成長期が終わり、バブル経済も崩壊。物価は低迷し、それが「輸送費の圧縮」というかたちでトラックドライバーの賃金にしわ寄せされた。

 さらに田附さんは、「世間の目」を理由に挙げる。

「デコトラに対する規制が厳しくなった。『こんな派手な車で来るな』という声が、市場やゼネコンの現場で上がるようになった。こんなご時世で、デコトラに乗っていたら仕事がとれないとなれば、ふつうのトラックに戻っちゃうよね」

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