会見する羽生結弦選手(gettyimages)
会見する羽生結弦選手(gettyimages)

――東日本大震災のときに避難所で一緒だった坂田俊明さんという方が、羽生選手を応援する会報誌を作り続けていて、今北京オリンピックで100号になります。坂田さんはじめ、被災者の方に力を与えてもらったかなと思いますが、改めて受け止めを聞かせてください。

 いろんな方々から色んな声をいただいたり、もちろん「おめでとう」にはならなかったかもしれないですし、うん。そうですね、「おめでとうございます」とはならなかったかもしれないですけど、でも本当に色んなよかったという声をいただいて、僕はすごく、ある意味で幸せです。

 なんか、僕はみなさんのために滑っているところももちろんありますし、僕自身のために滑っていることももちろんありますし、色んな気持ちのなかで最近フィギュアスケートというものと向き合っていますけど、なんか、うーん……。東日本大震災のときも感じましたけど、何かをきっかけにしてみんなが一つになるということがどれだけすばらしいことかっていうことをあの東日本大震災から学んだ気がしていて。

 もちろんつらい犠牲のなかでのことですけど、僕の演技が、みなさんが心を少しでも一つになるきっかけになっていたら、やっぱり僕は幸せ者だなって思いますし、それが東日本大震災やそういう災害とかではなくて、健康的に何かを犠牲にすることのない幸せな方向のきっかけだったらとてもうれしいなって思うので。こんなに応援していただけて、本当に光栄だなと思うと同時に、みなさんも自分を応援することで幸せになっていただけていりしたらうれしいなって思っています。

――王者として守るのではなく、王者として攻める、王者として挑戦する。改めて羽生選手にとって挑戦とは。

 ありがとうございます。挑戦、ですね。うーん。きっと、別に、僕だけが特別だとはなんも思っていなくて。別に王者だったからとかじゃなくて、みんな生活のなかで何かしら挑戦しているんだと思います。それが大きいことだったり、目に見えることだったり、報道されることだったり、それだけの違いだと僕は思っていて。それが生きるっていうことだと僕は思いますし、守ることだって挑戦だと思うんです。

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実はほめられることだったのかな