昨シーズンのゴールデングラブ賞は18人中6人が初受賞となったが、その中でも入団当初に守備のイメージが弱かったのが岡本和真(巨人)ではないだろうか。高校時代は投手として肩の強さは見せていたものの、甲子園でもトンネルによるエラーを記録するなど決して守備力が高かった選手ではなかった。
しかしプロ入り後は年々安定感を増し、昨年は143試合に出場してサードではリーグトップの守備率.988をマークするなどゴールデングラブ賞受賞に相応しいプレーを見せている。そして他にも打撃のイメージが強いものの、守備の名手だった選手は少なくない。今回はそんな守れる大砲にスポットライトを当ててみたいと思う。
守れる大砲として1970年代を代表する選手といえば、やはり山本浩二(広島)になるだろう。打者として大きく開花したのは30歳を超えてからであるが、若い頃から運動能力の高さは際立っており、プロ入り4年目の1972年から7年連続でリーグ最多刺殺を記録。高校時代は投手だったこともあって肩も強く、シーズン最多補殺も4度記録している。ゴールデングラブ賞(当時はダイヤモンドグラブ賞)の受賞回数10回は歴代4位タイであり、セ・リーグでは駒田徳広(巨人・横浜)、古田敦也(ヤクルト)と並んで最多タイ記録となっている。シーズン最晩年は脚力の衰えから刺殺数は激減したものの、引退した1987年にも9補殺を記録しており、肩の強さは健在だった。
1980年代から90年代にかけては清原和博(当時西武)が5度ゴールデングラブ賞を獲得しているが、同じファーストで意外に守備力が高かったのがブーマー(阪急・オリックス→ダイエー)だ。来日2年目の1984年に三冠王を獲得するなど主要打撃タイトルを7度、通算打率.317を誇る超優良外国人選手だが、実は一塁手として2度ゴールデングラブ賞を獲得している。身長2メートルという巨漢ながら日本に在籍した10年全てで盗塁も記録しているように決して動きは鈍重ではなく、わずかではあるが外野を守った記録も残っている。個人の成績だけでなく、右打ちなどチームバッティングにも定評があったが、守備面での貢献度も大きかったといえるだろう。