
さすがに懲りてヒョウ柄はその一度きり。その試合の様子もスポーツ新聞に掲載されたけど、いつもと違うタイツだから「天龍に何があった!?」というファンからの問い合わせも、会社に来たんだって。あのとき見に来てくれたファンはガッカリしたかもしれないが、今となっては貴重なものを見られたんじゃないか? 誰かそのときの写真を持っていないかな?(笑)
相撲のまわしも、俺は紫だったけど、当時、十両以上は「黒か茄子紺(なすこん)」と決まっていたんだ。でも、なぜ紫にしたかというと、きっかけは初代・貴ノ花。彼は十両に上がると、えんじ色といっていいのかな、オレンジと赤の中間のような色のまわしを締めてきたんだ。あのときは「黒か茄子紺しかダメって言われてるのに、こんな色でいいの!?」ってビックリしたよ! 彼は勇気があったよね、十両に上がったのは18歳だよ。さすがに怒られるんじゃないかと思ったけど、二子山さんの末弟だからか、相撲協会も他の力士も、誰も文句を言わなくてね。
その様子を見ていた当時幕下の俺も「怒られないんだったら、十両に上がったら紫にしよう」と思ったんだ。そのへんから規制がゆるくなって、みんな好きな色のまわしをつけるようになっていったんじゃないかな。少しずつ、いろいろな色を黙認するようになった。今は知らないが、少なくとも俺がいたころは相撲協会から「まわしは好きな色でよい」と言われたことは一度もない。
紫を選んだのは、上品でいいかなって思ったから。紫は染めるのが難しく、長い間締めていると、段々白っぽく変色するし、水につけると汚い色になるから取り扱いが難しかったね。大体、2年くらいが寿命だったよ。スポンサーがいれば、まわしも贈ってもらえるから、俺も同じ紫のまわしをいろいろなスポンサーにいただいて、負けが込むと「験(げん)が悪いから誰々さんにもらったまわしにするか」と言っては、しょっちゅう変えていたね。贈ってくれた人へのお披露目にもなるし、とっかえひっかえだったよ。