Ayaka Yamamoto “Untitled #84, Niort, France”, 2013, C-print (C)Ayaka Yamamoto / Courtesy of amanaTIGP
Ayaka Yamamoto “Untitled #84, Niort, France”, 2013, C-print (C)Ayaka Yamamoto / Courtesy of amanaTIGP
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 山元さんが写したポートレート写真を目にすると、不思議な感覚を覚える。

【山元彩香さんの作品はこちら】

 ふつう、人はカメラを向けられると身構えたり、自分をよく見せたくなるものだが、山元さんの作品を見ると、それが画面の奥底に沈み、残ったものが浮き出たような感じがするのだ。

 山元さんは作品を撮り始めた17年ほど前、さまざまなポートレート写真集を見て、こう思った。

「そこにあるのは、人の名前や職業、属性が強く表れたように感じる写真。でも、私が撮りたかったのは、そこからはずっと遠い、昔の宗教画に描かれた女性の顔みたいな、どの感情にもつながらないような表情」

 そんな写真が撮れたのはまったくの偶然だった。

 2005年、山元さんは京都精華大学芸術学部の洋画コースに在学中、交換留学生としてカリフォルニアにある美術大学で写真を学んだ。

 そこで山元さんはさまざまなものを写した。まだ「何が撮りたいのか、分からなかった」。

「最初は、女性に花を持たせたりセットアップして写した。知り合いになった認知症のおばあさんを撮ったり、セルフポートレートにも挑戦した」

 後の作品につながる1枚が撮れたのは、そんな「実験」でのことだった。

Ayaka Yamamoto “Untitled #281, Mzimba, Malawi”, 2019, C-print (C)Ayaka Yamamoto / Courtesy of amanaTIGP
Ayaka Yamamoto “Untitled #281, Mzimba, Malawi”, 2019, C-print (C)Ayaka Yamamoto / Courtesy of amanaTIGP

■偶然撮れた1枚で油絵から写真に

「私は英語がまったくしゃべれないのに、すごくよくしてくれたクラスメートがいたんです。その子を寮の部屋に招いて、椅子に座ってもらい、何回もシャッターを切った」

 撮影は何事もなく終わった。ところが、コンタクトプリント(ベタ焼き)を見たとき、そのうちの1枚に目が引きつけられた。

「私はその子を知っているはずなんですけれど、1枚だけ『あれ、誰だろう?』みたいな、別人のような顔が写っていた」

 それは「何かが剥がれた姿」のようも見えた。

「人は生まれて、言葉を覚え、いろいろな経験を積み重ねることで、その人がかたちづくられるとしたら、それを1枚1枚剥いでいったときに最後に残る、人間のなかにある『自然』とも呼べる本質的な部分。そんなふうに感じられるものがたまたま写った」

 帰国後、山元さんは油絵を描くのをやめ、そんな写真を撮ることを目指すようになる。ところが、試行錯誤を重ねたものの、最初の4年間はまったく作品になるような写真は撮れなかった。

「どうしても相手の前にカメラを挟んで私がいると、自意識が前面に出た写真になってしまう。『見る』『見られる』関係をなくす、というのはとても難しい。自意識が見えなく瞬間は、すごく本当のことというか、うそじゃないっていう感覚があるんですけど、なかなかその瞬間は訪れなかった」

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素朴なエストニアの人々との出会い