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山元さんが写したポートレート写真を目にすると、不思議な感覚を覚える。
ふつう、人はカメラを向けられると身構えたり、自分をよく見せたくなるものだが、山元さんの作品を見ると、それが画面の奥底に沈み、残ったものが浮き出たような感じがするのだ。
山元さんは作品を撮り始めた17年ほど前、さまざまなポートレート写真集を見て、こう思った。
「そこにあるのは、人の名前や職業、属性が強く表れたように感じる写真。でも、私が撮りたかったのは、そこからはずっと遠い、昔の宗教画に描かれた女性の顔みたいな、どの感情にもつながらないような表情」
そんな写真が撮れたのはまったくの偶然だった。
2005年、山元さんは京都精華大学芸術学部の洋画コースに在学中、交換留学生としてカリフォルニアにある美術大学で写真を学んだ。
そこで山元さんはさまざまなものを写した。まだ「何が撮りたいのか、分からなかった」。
「最初は、女性に花を持たせたりセットアップして写した。知り合いになった認知症のおばあさんを撮ったり、セルフポートレートにも挑戦した」
後の作品につながる1枚が撮れたのは、そんな「実験」でのことだった。
■偶然撮れた1枚で油絵から写真に
「私は英語がまったくしゃべれないのに、すごくよくしてくれたクラスメートがいたんです。その子を寮の部屋に招いて、椅子に座ってもらい、何回もシャッターを切った」
撮影は何事もなく終わった。ところが、コンタクトプリント(ベタ焼き)を見たとき、そのうちの1枚に目が引きつけられた。
「私はその子を知っているはずなんですけれど、1枚だけ『あれ、誰だろう?』みたいな、別人のような顔が写っていた」
それは「何かが剥がれた姿」のようも見えた。
「人は生まれて、言葉を覚え、いろいろな経験を積み重ねることで、その人がかたちづくられるとしたら、それを1枚1枚剥いでいったときに最後に残る、人間のなかにある『自然』とも呼べる本質的な部分。そんなふうに感じられるものがたまたま写った」
帰国後、山元さんは油絵を描くのをやめ、そんな写真を撮ることを目指すようになる。ところが、試行錯誤を重ねたものの、最初の4年間はまったく作品になるような写真は撮れなかった。
「どうしても相手の前にカメラを挟んで私がいると、自意識が前面に出た写真になってしまう。『見る』『見られる』関係をなくす、というのはとても難しい。自意識が見えなく瞬間は、すごく本当のことというか、うそじゃないっていう感覚があるんですけど、なかなかその瞬間は訪れなかった」