中村太地七段/1988年生まれ。東京都出身。早稲田大学政治経済学部卒。2006年、高3でプロ入り。17年、第65期王座戦で初タイトルを獲得
中村太地七段/1988年生まれ。東京都出身。早稲田大学政治経済学部卒。2006年、高3でプロ入り。17年、第65期王座戦で初タイトルを獲得

 一方の谷合は、棋士養成機関・奨励会在籍中、東京大学理科1類(工学・理学系)に進学。工学部では電子情報学を専攻した。卒業後は大学院に進み、修士課程在籍中の18年には『Pythonで理解する統計解析の基礎』というプログラミングの専門書も執筆。19年には自動車技術会主催の「自動運転AIチャレンジ」という競技会で優秀賞を受賞。博士課程在籍中の20年に奨励会を抜けて四段昇段を果たした。21年には日本取引所グループ(JPX)の株価を予測するコンペティションで上位に入賞した。棋士の他に一流の研究者、エンジニアの顔を持つ万能の天才タイプである。

 中村の師匠は、日本将棋連盟会長も務めた名棋士の米長邦雄永世棋聖(故人)。その米長が言ったと伝えられる有名な言葉がある。

「兄たちは馬鹿だから東大に行った。自分は頭がいいから棋士になった」

 将棋界の優秀さを端的に示すとして、何度も繰り返し引用されてきたフレーズだ。それは米長の先輩の創作であると米長自身は述べているが、趣旨については否定するものでもないらしい。現在、棋士になれるのは原則として年間4人。難易度という点において、年に3千人合格する東大とは比較にはならない。とはいえ、その両立など、かつては考えられなかった。

 しかし現在は谷合のように、どちらにも進む人物も現れた。そうした意味で棋士にも「多様性」が見られるようになったのは、時代の変化を表すものだろう。将棋が強く、のちに棋士に成長した少年時代には、いくつもの共通点がある。彼らの言葉から探っていきたい。

言語の習得に似ている

 まず挙げられるのは、スタートの早さだ。

 藤井聡太は5歳。羽生善治は6歳。多くの棋士は小学校入学前後で将棋を始めている。もちろんみんな、最初から強かったわけではない。しかし、早く始めることのアドバンテージは大きい。

 中村は4歳のときに父から教わった。

中村:言語の習得に似ていると思います。子どものときの方が吸収力が高い。いろんなものを吸収し「どれがいい」というのが自分の中で感覚的にわかる気がしますね。

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最初から「将棋ばかり」ではない