神戸の実家の取材では、弟の良太も姉について懸命に思いを伝えてくれた。岸田はこのリビングのパソコンで文章を書き、人を楽しませる喜びを知った(写真=MIKIKO)
神戸の実家の取材では、弟の良太も姉について懸命に思いを伝えてくれた。岸田はこのリビングのパソコンで文章を書き、人を楽しませる喜びを知った(写真=MIKIKO)

高校卒業式に忘れて
読んだのは白紙の答辞

 父は岸田が小学1年生のとき、「これからはパソコンができる人間が成功する」と言って、突然初代iMacを買ってきて娘に与えた。当時のパソコンの家庭普及率は3割以下、しかもそのほとんどがウィンドウズの時代に、わざわざアップルのパソコンを買い与えたことに「父の性格が表れている」と岸田は笑う。

 だがその子どもには早すぎるプレゼントであるiMacが、岸田の作家としての土台を形作った。小学生になってから岸田はアニメや少年漫画を好むいわゆる「オタク」へと成長。女の子同士の話題や遊びについていけず、居心地悪さを感じるようになったとき、インターネットの向こうに「友だちが山ほどいる」ことに気づいた。

 岸田は知らない人とアニメや漫画について文章でおしゃべりできるチャットに夢中になった。パソコンの扱いにもみるみる習熟し、小学2年生のときには電気店で開催された「タイピング速度ランキング」で兵庫県1位になったという。当時のインターネットはダイヤルアップ接続で、つないだ時間分の料金が請求される。岸田家の電話代は月に7万円を超え、父からは「パソコンなんか誰でもできるんやから天狗になるな」と怒られたという。

 大好きだった父が突然亡くなったのは、中学2年の初夏のことだ。その日の夜、岸田は帰宅した父とささいな理由で口喧嘩し、「パパなんか死んでしまえ」と言ってふて寝した。深夜になって心筋梗塞の発作を起こし、病院に緊急搬送された父は、2週間後、目を開けずに息を引き取った。救急車に乗るとき父は「奈美ちゃんは俺に似とるから絶対に大丈夫や」と何度も母に伝えた。岸田は今も父への暴言を後悔するとともに、父が遺してくれた言葉を心の支えにしている。

(文中敬称略)

※記事の続きは「AERA 2022年4月25日号」でご覧いただけます。