昨年12月の広島市の「自主サイン会」には岸田の読者100人が列をなした。ファンには家族や自らに困難を抱える人が少なくない(写真=MIKIKO)
昨年12月の広島市の「自主サイン会」には岸田の読者100人が列をなした。ファンには家族や自らに困難を抱える人が少なくない(写真=MIKIKO)

困難を笑いに変えるのは
父から受け継いだ

 岸田はそのエッセイに「障害のある人とどう接したら良いか、良太くんから教えてもらった」と地域の他の人からも聞いたと書き、「良太が歩いたその先に、障害のある人が生きやすい社会が、きっとある」と締めくくった。公開された文章はTwitter上で瞬く間に拡散し、糸井重里など多数の著名人にも読まれ、絶賛された。

 株式会社コルクの代表、佐渡島庸平(42)も「赤べこ」で岸田の存在を知った。佐渡島は講談社で『ドラゴン桜』『宇宙兄弟』などの大ヒットマンガを生み出した後にコルクを創業、現在は同社で才能ある作家をプロデュースしている。佐渡島は岸田に会ってすぐ「作家に向いている」と感じ、エージェント契約を結んだ。佐渡島は岸田の文章が多くの人の心を捉(とら)える理由について、次のように分析する。

「岸田さんの文章を読むと『障害』は人にではなく、社会のほうにあることに気づかされます。彼女は社会で弱い立場にある人の、言語化できない心の傷つきに対する感度がものすごく高い。社会の中で『強くならねば』と頑張っている人が、彼女の文章を読み、『ここに自分をわかってくれる人がいた』と感じているのではないでしょうか」

 音楽の世界ではCDが売れなくなり、アーティストはライブに活路を見いだした。それと同様、これからの作家はネットを通じて読者とつながることで、生きていくのではないか。幼少期からネットに触れてきた岸田は、いま佐渡島とともに前人未踏の「新しい作家のあり方」を探求する。

サイン会後に広島のラジオに出演。岸田の視点とトークの面白さにメディアも注目し、テレビの報道番組のコメンテーターも務めるようになった(写真=MIKIKO)
サイン会後に広島のラジオに出演。岸田の視点とトークの面白さにメディアも注目し、テレビの報道番組のコメンテーターも務めるようになった(写真=MIKIKO)

 1991年、岸田は父・浩二と、専業主婦の母・ひろ実の長女として神戸市北区に生まれた。父は奈美が5歳のときに古い住宅をモダンにリノベーションする会社を創業、神戸でベンチャー企業の勉強会を立ち上げるなど、アイデアあふれる活動的な人物だったという。岸田は父のことを「先見の明を持ちすぎる人」と語り、「雨みたいに続々降りかかってくるトラブルを、悔しいから面白おかしく考えて、すぐさま言葉にして書いてしまう才能」を、父から受け継いだと述べる。弟の良太が生まれたのは岸田が4歳のときだ。

「私が小学校に入学する頃に、母から良太はダウン症で治らないと知らされて、泣きまくりました。でも母が良太に『こんにちは』『ありがとう』という挨拶と、集団生活のルールを教えたことで、彼はすごく地域で愛されるようになったんです」

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