それでも従業員同士は和気あいあいとした雰囲気で、良いチームワークを築けていた。店長であるAさんが意識的に風通しの良いコミュニケーションを心がけていたこともある。店舗を丸ごと任されるだけあり、裁量も大きく、やりがいはあったが、ある時からこのまま同じ会社で働き続けるイメージがどうしても湧かなくなった。かと言って、同業種や同職種で働いても、同じ考えに至りそうに思えた。自分の世代は、定年が70歳に引き上がっているかもしれない。そうすると、定年まであと30年もある。
「転職するには、今が最後の年齢かもしれない」
そう思って転職エージェントの元を訪ねたのが、43歳の終わりのことだった。
中途採用といえば、即戦力が重視されるイメージが強い。それだけにAさんも、異業種や異職種への転職は難しいと考えていた。まして、“35歳限界説”がまことしやかに囁かれる中途採用市場である。Aさんもどこかで、「結果的に同業種や同職種での転職に落ち着くのだろう」と踏んでいた。エージェントの担当者から、IT企業の人事担当という現職を紹介された時には、「なぜ自分に?」と驚いた。
実は、Aさんが抱いていたような中途採用の「常識」は過去のものになりかけているという。今、異業種や異職種に“越境”する「越境転職」が盛んだ。リクルートの調査によれば、2009年から2020年までの約10年間で、「異業種×異職種」の転職割合は24.2%から36.1%に増加した。
Aさんの転職の場合、そのIT企業は事業規模の拡大に伴って採用活動を強化しており、人事担当者を拡充したい意向があるのだという。求めているスキルは、「マネジメント力」「幅広い年代を対象とした採用経験」「チームを引っ張れる能力とコミュニケーション力」。言われてみれば、これまで培った経験が活かせそうに思えた。「新たな環境で、これまでと違う業界に飛び込んでみるのも悪くないかもしれない」という気持ちが、背中を押した。