●日光東照宮と久能山東照宮の関係は
全国にある東照宮を簡単にご紹介しておこう。先に紹介した日光の東照宮は、徳川家康の霊廟としてまた江戸城の北辰守護として、二代将軍・徳川秀忠と参謀・天海によって建立された。祭神には家康のほか、豊臣秀吉と源頼朝が祀られている。
久能山東照宮(静岡県)は、家康が死去した後に埋葬された場所である。埋葬から1年後に日光の東照宮へと改葬された。ただし、近年の研究では家康の亡きがらはこの地に残されたままだったのではないかともされている。家康は死してなお、徳川幕府安泰のために働いていたのではないかと考えられているのだ。こちらには相殿として秀吉と織田信長が祀られている。日光山も久能山も、飛鳥・奈良時代にまで遡ることのできるお寺がすでに開かれており、戦国武将などの厚い帰依も受けていた土地である。
●東京には2つの東照宮
芝の東照宮は増上寺(徳川家菩提寺)に由縁するもので、60歳を迎えた徳川家康寿像がご神体となっている。上野の東照宮は、現在寛永寺と隣接していることから関係があるようにも見えるが、家康の側近であった藤堂高虎が自らの屋敷に家康を祀り創建した社である。上記の四社が四大東照宮と呼ばれることは多いが、家康以外に相殿として祀られている祭神はまちまちである。
●有名どころの全国の東照宮は
このほか、天海が川越に建立した仙波東照宮、水戸藩の祖で家康の子・頼房が建立した水戸東照宮、家光が父の生誕地にと建立した滝山東照宮、尾張初代藩主徳川義直が父の三回忌に建立した名古屋東照宮、徳川頼宣(家康10男)が紀州藩主となるとすぐに紀州東照宮が造られた。天海と対立していた宰相・金地院に関係した金地院東照宮などもあり、東照宮の建立は次第に徳川家に対する忠誠心を試されるものとして利用されはじめていたのかもしれない。
それでも、日光東照宮に代表されるように絢爛豪華な社殿は全国でも比類なく美しく、多くの東照宮は訪れる人たちの歓心を得る。また、家康の立身出世や緻密な仕事ぶりにあやかりたいと祈願に訪れる人も多い。
来年のNHK大河ドラマ「どうする家康」で、久しぶりに主人公として登場する家康の人生は75年と当時としても長生きであるが、没した後も神として大きな力を持ち続けていたといえよう。本当のカリスマは死んだ後に力を発揮できるかどうかでわかるのではないだろうか。寅年生まれが強運という神話は、家康ひとりによるところが大きいような気がする。(文・写真:『東京のパワースポットを歩く』・鈴子)