毎年5月17・18日は東照宮の総本宮とされる日光東照宮の例大祭が行われてきたが、今年も残念ながら「百物揃千人武者行列」も「流鏑馬」も中止となってしまった。
これは久能山から日光山へ家康が改葬された時の行列を再現したもので、東照宮の行事の中でも最も盛大なものである。日本全国、神社仏閣の祭事はいまだ元にもどらないものも多いが、令和4年は運気の高まる寅年。中でも五黄の寅年の今年、お祭りなどは暗さを吹き飛ばして復活してほしいと切に願う。
●寅年寅の日寅の刻生まれの家康
さて寅年は、徳川家康にとっても意味のある年である。これは家康が生まれたのが寅年寅の日寅の刻と言われ、寅は家康の象徴として扱われているからだ。現在の暦を使うとかなり誤差が出るのだが、江戸初期まで使用されていた宣明暦は、以前の稿でもご紹介したように800年以上修正されることなく使用されてきたものだけに、不正確な部分もあるだろう。ましてや時刻に関しては、現在のような固定ではなかったのだから(日の出日の入り時刻に左右される)、当時の資料によるしかない。
●薬師如来と徳川家康
改めて紹介しておくまでもないだろうが、日本全国にある「東照宮」は、徳川家康を神として祀った神社である。当時は約500社、現在でも130社ほどの東照宮が残っている。東照宮の名の由縁は、徳川家康が得た「東照大権現」という神号からのものであり、「東に照る如来(東方薬師瑠璃光)が権(か)りに現れた神」という薬師如来(正式名は薬師瑠璃光如来)からきた名である。ちなみに家康は薬師如来の申し子とも言われている。
●寅の守護神の化身?
これは父(松平広忠)と母(於大/伝通院)が、子授けを薬師如来を本尊とする鳳来寺に祈願したところ、無事、家康を授かったことから、以後薬師如来を大事にしてきたという。鳳来寺には、薬師如来の脇仏である十二神将(子から亥までの十二支を守護する夜叉)のうち、寅の守護神・真達羅大将が家康の誕生とともに姿を消し、家康の死去とともにいつのまにか戻っていたとの不思議な逸話も伝わっている。これらの話を聞いた三代将軍・徳川家光は、鳳来寺に新たな東照宮を建立している。