縁日の様子(コロナ禍以前の大國魂神社境内にて)
縁日の様子(コロナ禍以前の大國魂神社境内にて)
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「縁日」と聞くと、神社やお寺のお祭りの時に参道などに広がる露店をイメージする人も多いだろうが、本来の意味は「特定の神仏と縁のある日」である。この日に参拝をすると、他の日よりも多くの功徳(ご利益)があるとされている日でもある。古来、この日に市が立つことが多かったため、次第にこの「市」(現在では露店)のことが縁日だと勘違いされるようになっていった。

●縁日とは神仏と有縁を結べる日

 縁日として有名なところでは、毎月25日の天神さま、28日のお不動さまなどがよく知られるが、実はほぼ毎日、神仏の縁日が設定されている。日にちではなく、干支(日/12日に一度巡ってくるので月に2~3日ほど)が縁日となる仏神もいる。たとえば、巳(へび)の日に弁天さまに参ったり、帝釈天では庚申の日が特別だったりするのがそういう訳だ。詳しく説明すると、それぞれに云われはあるのだが、長くなるのでいくつかを簡単にご紹介しておくに止めよう。

●寅の日の縁日は毘沙門天

 今年は寅年でもあるので、寅の日(近いところでは6/6、6/18、6/30)が縁日の毘沙門天について。虎(本当は寅と虎は別物を意味したがいつのまにか同一に)は千里を1日で走り動物の王の風格を持つことから、毘沙門天の遣いと言われている。また、日本での伝承として、聖徳太子が物部氏と争った際、戦勝を毘沙門天に祈願したのが、寅年寅の日寅の刻であったことから、毘沙門天と寅は深い関係となったとも。他にも鑑真が毘沙門天に助けられたのが寅年寅の日寅の刻だったなど、苦境の時に毘沙門天が現れて助けてくれるのが、寅に関する日時だという信仰が広まったようだ。このことから、毘沙門天からの特にご利益を得たい人が参拝するのは寅の日がよい、縁日ということになる。

●帝釈天と庚申の発祥は柴又帝釈天

 帝釈天の庚申、大黒天の甲子は、十干十二支の2つが合わさった縁日である。もちろん帝釈天と申、大黒天と子も縁があるが、それよりももっと細かく60日に一度しか回ってこない特定の十二支が指定されることになる。60日に一度なので、1年に5回ほどしか庚申、甲子はやってこない。帝釈天の庚申信仰は、柴又帝釈天にその縁が発祥していて、やがては全国に広まっていったものだ。大黒天に関しては、大黒天という仏神が複雑なため説明が難しい。だいこくさまは、大国さまとも大黒さまとも表記し、神仏が習合した不思議な神だからである。

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