●大黒天と大国主命はいつしか一緒に
ちなみに我々がよく知るふくよかな顔をして小槌をもつ「だいこくさま」の姿は、江戸時代以降の姿である。それ以前は、黒面の憤怒相で表されていた。これは仏教界の大黒天がインドでは死を司る破壊神であったためであり、日本に伝来した大黒天は、神道の神・大国主命と同音だったことから、いつしか一緒になってしまった。そして、破壊神は豊穣の神へと変化するのである。
子(ね)と関係があるのは、大国主命の逸話(ピンチをねずみに助けてもらった)に由来する。そして甲子が特に縁日とされたのは、十干十二支の最初が甲子のためでもあろう。ちなみに今もわずかではあるが、各地に残る「子の神」とは、だいこくさまを意味することが多い。明治時代の神仏分離令の際、神仏を分け難かった人たちの思いかもしれない。
●実は毎日が縁日の「1日1仏」
28日は多くの神仏の縁日でもある。大日如来、不動明王、鬼子母神、三宝荒神……。日付での縁日は、日本に仏教が伝来した時に入ってきた「三十日秘仏」という中国で始められた「1日1仏」という信仰を元に日本で変化しながら広まったものといえる。今でもこの日に秘仏を開帳するなどして縁日を過ごすお寺も残っている。また、日本では仏教と神道などが習合したことから、大日如来は不動明王の化身であったり、盧舎那仏や天照大神と同一視されたりもするので、縁日は広く変化もしている。
●縁日よりも露店市のほうが有名に
さて、本来は神仏の縁日が始まりだったのであるが、次第に露店のほうがメインとなってしまった縁日も各地に存在する。たとえば「ほおずき市」。浅草の観音さまの縁日に立つほおずきの市が盛大となり、夏の観音さまの縁日に各地のお寺の境内で「ほおずき市」が開催されることとなった。東京の初冬の風物詩である「酉の市」も、祭神の日本武尊が戦勝祈願をしたことから酉の日(ヤマトタケルには白い鳥になった伝説がある)の縁日に立った市が人気となったことに始まる。
年(旧暦)の最初の午の日を「初午」と言って、縁日の稲荷神の好物・お揚げ(いなりずし)を(スーパーの戦略に乗って)食べるようになったのは最近のことだが、年の最後の観音の縁日「納めの観音」に「羽子板」を買い、「納めの不動」に「七味唐辛子」を買うという風習は長く続いている。これらを書き連ねてみると、日本人は思いの外、神仏とつながっているのだと思い至る。毎日訪れる縁日に、人と人とも「縁」が大切だと、コロナに倦んだ今だからこそ余計に感じるのかもしれない。(文・写真:『東京のパワースポットを歩く』・鈴子)