そしてこのカテゴライズされない本はそれに見合ったきわめて異例の方法で作られた。まず私はそれまで10年間に撮った写真の中で気になる写真を数百点ほど選び出し、まずはそれを100点に絞った。その100点のスライドを大きなライトボックスの上に碁盤の目状に並べ、その前に座った。

 私の両脇には編集者が居た。1982年5月8日、午後3時、その小さな仕事場で出版物としてはおそらく後にも先にもないであろう創作実験がはじまったのだ。

 当時私はその半年前にベストセラーとなった『東京漂流』という本を上梓していた。この本は私がそれまでのアジアを中心として行った旅によって培った自分なりの価値観によって現代の日本にあたかも居合抜きのように切りつけた本と言ってもよいだろう。その帯に「墓に花を盛るのか唾を吐くのか」という言葉を付していることが示しているように、閉塞状況に向かう日本に唾を吐くように書かれたのがこの『東京漂流』であり、共感とともに多く批判もあった。

 そんな中、ある日『東京漂流』の版元であった情報センター出版局の星山君が、今度は救いと言ってはなんですが唾を吐くのではなく、花を盛るような本を書いてもらえないでしょうかと言った。

 その“花”という言葉を聞いた時、私の脳裏には言葉ではなく瞬間的に写真が浮かんだ。私はそれまでの旅においてつれづれに出会う多くの花の写真を撮っていたからである。いやそれは花そのものでなくとも私の撮った被写体というものはおしなべて“花”だと言えた。

 書くという行為は時に世界を否定批判する意識と繋がるものだが、私にとって見るという行為はおしなべて世界を肯定する行為だった。対象が美しいと感じた瞬間において私は無意識のうちにシャッターを押しているのである。『メメント・モリ』で多くの人に知られるところのものとなったガンジス川で人間の死体が犬に食われるシーンも、私にとってそれは生命の生々流転の一シーンであり美しい場面だったのだ。

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「今から24時間内に1冊の本を書くよ」