そして今なお語り草となっているのが、その年末に行われたラジオたんぱ杯3歳ステークス。アグネスタキオンは先行策から早めにまくってレコード勝ちという快勝を見せたのだが、2馬身半差で下した2着馬はのちのダービー馬ジャングルポケット、3着馬はNHKマイルカップを勝つクロフネだったのだから、この勝利は後になるほど価値あるものとみなされるようになった。

 翌01年は3月の弥生賞から始動し、デビュー戦での雪辱を期すボーンキングを5馬身差で返り討ち(4着には秋に菊花賞を制すマンハッタンカフェもいた)。無敗で臨んだ続く皐月賞でも先行策から抜け出す危なげないレースでダンツフレーム(翌年に宝塚記念を勝利)、ジャングルポケットを下し、兄フライトに続いて三代クラシック制覇を達成した。

 そのまま無敗の三冠も期待されたアグネスタキオンだが、5月に屈腱炎を発症。ダービーを走ることなく引退となった。種牡馬としては兄と違って優秀で、初年度産駒から2005年のNHKマイルカップを制したロジックを出し、その後も桜花賞や有馬記念などG1を勝ちまくった名牝ダイワスカーレット、ダービー馬ディープスカイ、皐月賞馬キャプテントゥーレなどを次々と送り出した。

 2008年には内国産馬としては51年ぶりとなる総合リーディングサイアーを獲得。このままタキオン時代が来るかと思われたが、翌09年に急性心不全で世を去った。ウマ娘には娘のダイワスカーレットともども実装され、リアルでは走ることがなかったダービー以降のレースを勝つ姿でファンを喜ばせている。

 名前のとおり短い生涯を走り抜けたタキオンの陰に隠れる形となったが、同期のアグネスゴールドも非凡な馬だった。デビューからきさらぎ賞とスプリングステークスの重賞2勝を含む4連勝。タキオンと同様に河内騎手が主戦だったためクラシックではどちらに乗るかで注目を集めるほどだったが、ゴールドはスプリングS後に骨折が判明。春のクラシックを棒に振り、タキオンが引退して不在となった秋に復帰すると引き続き河内騎手の手綱で菊花賞に臨むも8着に終わった。

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“最強世代”の一角だったアグネスは?