英国の重賞でも勝利したアグネスワールド
英国の重賞でも勝利したアグネスワールド
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 前回は「メジロ」の名馬たちを取り上げた冠名シリーズ。今回もオールドファンにとっては懐かしの、そして人気ゲーム「ウマ娘」ファンの方たちにとってもお馴染みの「アグネス」を冠する名馬たちを紹介しよう。

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 1970年代から競馬場に登場し始めたアグネス軍団にとってのG1初勝利は1979年。アグネスレディーによるオークス制覇だった。翌年も京都記念や朝日チャレンジカップを勝って引退したアグネスレディーは6番仔としてロイヤルスキー産駒の牝馬を送り出す。

 アグネスフローラと名付けられた牝馬はデビューから無傷の5連勝で1990年の桜花賞を制し、母とのクラシック親子制覇を達成した。ただし続くオークスはエイシンサニーの2着で母との2代制覇はならず、故障によってこれを最後に引退を余儀なくされてしまった。

 早々と現役時代が終わってしまったアグネスフローラだったが、彼女は繁殖牝馬としても優秀だった。4番仔のサンデーサイレンス産駒はアグネスフライトと名付けられ、4歳(旧馬齢表記)となった2000年2月にデビュー勝ち。皐月賞は不出走となったが、5月にG3京都新聞杯を勝ってダービー出走を確定すると、本番では最後の直線で抜け出していた皐月賞馬エアシャカールをハナ差で差し切った。

 祖母アグネスレディー、母アグネスフローラの主戦も務めた河内洋騎手にとっては45歳で待望のダービー初制覇。またクラシック三代制覇も史上初の快挙となった。残念ながらダービー後は勝てずに引退し、種牡馬としても成功を収めることができなかったが、歴史に名を刻む存在となったことは間違いなかった。

 そのアグネスフライトの1歳下の全弟として誕生したのが、アグネスタキオンだった。ダービー馬の全弟ながら2000年12月の新馬戦では3番人気に甘んじたが、結果は3馬身半差の快勝(ちなみに1番人気で5着のボーンキングもダービー馬フサイチコンコルドの半弟だった)。

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“短命”ながら伝説に残る名馬