若い時は、手術一筋でしたから、手術の名手と言われるのが名誉だと思っていました。先輩にはとても及ばない名手がいましたが、そんな私も「手術がうまい」と言われることがあり、十分に名誉なことでした。

 しかし、西洋医学に限界を感じて、中西医結合のがん治療を始めてからは、世間からまったく理解されなくなりました。少しずつ理解が広がり、多少期待されるようになっても、本場中国の老中医たちの力量を知っていましたから、名誉など感じたことがありません。ただ、ずっとホリスティック医学を続けてきたせいで、ホリスティック医学の第一人者と言われることがあります。これは名誉なことです。

 また私の太極拳の師、楊名時先生が2001年の著書『太極 この道を行く』(海竜社)のなかで、こう書いてくれました。

「帯津良一先生は私の主治医であり、飲み友だち、食べ友だちであり、太極拳の仲間でもあります。そして帯津三敬病院は私が自らの死に場所と決めた病院です。私はこの病院で帯津先生に看取られながら死んでいきたいと思っています」

 その4年後、楊名時先生は私の病院で亡くなりました。こんな名誉なことはありません。

帯津良一(おびつ・りょういち)/1936年生まれ。東京大学医学部卒。帯津三敬病院名誉院長。人間をまるごととらえるホリスティック医学を提唱。「貝原益軒 養生訓 最後まで生きる極意」(朝日新聞出版)など著書多数。本誌連載をまとめた「ボケないヒント」(祥伝社黄金文庫)が発売中

週刊朝日  2022年6月10日号

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