打てば響くように、別れて自宅にもどるともう着いている。その時間が大切なのだ。
浅草のお寺の住職だった永さんの父上が亡くなった時にはお通夜に行って、自宅へもどるともう葉書が着いていた。「ありがとう、下重さん」と独特の文字で一言。
永さんが生きていたら、今の状況について何と言うだろう。手紙は日が経ってしまってからでは意味がない。気のぬけたビールみたいにしか受け取れない。
書く方ももらう方も心が通じ合う、絶妙な時間にこそ意味があるのに……。
とはいえ、働く人の労働条件を考えることは必要不可欠だ。手紙の全てを速達や書留にするわけにもいかず、何か良い方法はないのか。
人と人の心をつなぐ大切なツールである葉書や手紙という手段が減れば、どんなにか人の心が乾いてくるのではなかろうか。
民営化というのは、本来はサービス向上が目的だが、人手を省くことは、逆効果にならないとはいえない。
改めて人の手による文字の大切さを感じている。
下重暁子(しもじゅう・あきこ)/作家。早稲田大学教育学部国語国文学科卒業後、NHKに入局。民放キャスターを経て、文筆活動に入る。この連載に加筆した『死は最後で最大のときめき』(朝日新書)が発売中
※週刊朝日 2022年6月17日号