人間としてのあり方や生き方を問いかけてきた作家・下重暁子氏の連載「ときめきは前ぶれもなく」。今回は、郵便物について。
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午後、原稿書きを終えて、散歩に出る。十五~三十分、私の一番好きな夕暮れ時である。玄関にもどって郵便受けを開いて、郵便物を取る。
その楽しみが減ってしまった。日曜祝日に加えて土曜日も配達がなくなってしまった。
何とも味気ない。うっかり土曜日に郵便受けを開けた時の空しさ! 入っているのは不動産やレストランのチラシだけ。
働く人の労働条件を改善するためにはいたし方ないということはわかっているが、まだまだ郵便を楽しみにしている人は多いのだ。民営化というのは、サービス向上につながるのかと思ったが、実は逆で、必要な書類や情報がなかなか届かない。
三連休やゴールデンウィークなどが間に入ると四~八日も遅れるケースもある。郵便を利用する人はますます少なくなる。
ほとんどスマホで用が足りるからという理由もあろう。私もメールもLINEも毎日使っていて便利ではあるが、どうしても郵便物でなければ心が伝わらないものもある。
スマホに縁がなく、メールもLINEもしない人たちも決して少なくはない。特に高齢者の中には、そうやって情報から阻外され、ますます社会と隔絶し、認知症が進む例だってないとはいえない。
私たちのように文筆を業とする人の中には、手紙や葉書を書くことが好きな人も多く、その人独特の字で一目でわかる葉書が着くと嬉しい。
友人の芥川賞作家は、電話も嫌いで連絡も全て葉書なのだが、三日も四日もずれると、必要な日に間に合わないことすら出てくる。彼女はもちろんスマホなど持っていない。
葉書が大好きだった人といえば、永六輔さんである。いつも旅先にも葉書を持ち歩いていて、旅で出会った人、世話になった人に、すぐ礼状を書く。簡単な一言が気がきいていて、もらった人は嬉しくなる。