直後、ベンチに戻ろうとする張本に捕手の醍醐猛夫が「わざとやったな。汚いプレーはやめろ」と注意すると、張本は「それなら、坂井もオレにわざとぶつけたのか」とバットを持って醍醐に迫ったことから、たちまち両軍ナインが駆け寄り、乱闘寸前の騒ぎに。総立ちになったスタンドからは“張本退場”コールも起きた。間もなく張本は坂崎に組み止められ、ようやく幕となった。

 もし張本がふつうに盗塁を決めていたら、2死二塁のチャンスだったのだが、文字どおり“暴走”で勝ち越しのチャンスを潰した東映は1対4で敗れている。

 ラフプレーが原因で走者と二塁手の喧嘩が起きたのが、83年7月13日のヤクルトvs大洋だ。

 0対0の2回2死一塁、ヤクルトはブリッグスが死球で出塁したが、死球への怒りからか、次打者・大矢明彦の三ゴロの際に、スパイクの刃で蹴り上げるような危険なスライディングでセカンド・高木豊の足元をすくって転倒させた。

 高木が文句を言おうと詰め寄ると、ブリッグスは「問答無用」とばかりにいきなり殴りかかってきた。当然高木も激高し、もみ合いになったが、松橋慶季二塁塁審は喧嘩両成敗で、双方に退場を宣告した。

 手を出していないのに退場させられた高木は「文句を言ったら殴ってきた。それで(こちらまで)退場させられては、殴られ損。もうあんな選手とはプレーしたくない」と怒り心頭。結果的にその願いは叶えられ、ブリッグスは同年限りでクビになった。

 張本といい、ブリッグスといい、死球がきっかけで二塁上のラフプレーに発展した例が目につくが、本塁上のラフプレーが伏線となって、あわや全員退場の大騒動に発展したのが、87年5月2日の広島vs中日だ。
 
 3対1とリードの中日は6回2死、一塁走者の川又米利が二盗を試みた際に、セカンド・正田耕三がみぞおちを激しくタッチしたことに怒り、正田の胸を突いた。

 たちまち両軍のコーチ、選手が飛び出し、約60人がダイヤモンドの数カ所でプロレスのバトルロワイアルのような大乱闘を演じた。

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星野監督は人生初の退場に…