(C)梁丞佑
(C)梁丞佑

 黒く変色したような不気味な手の写真はなんだろう。

「お茶畑で一日中働いて、軍手を脱ぐと手がこんなふうになる。このバイトはけっこう日当がいいけれど、キツイよ」

 梁さんが担当したのは、粉末に加工した茶葉を詰めた30キロ入りの袋をパレット(運搬用の台)に積む作業。

「もう30分ぐらいでみんなばてちゃって。『ちょっと、梁さんやってくれない?』と言われて、専任で、1日中ずーっと(笑)」

 ほかとちょっと違うと感じたのは、大手製パンメーカーからの不採用通知の写真。

「パン工場でバイトしようと思って、履歴書を書いて出したら、落ちちゃった。ショックだったので、撮っておいた」
「なんで、そんなにショックだったんですか?」
「だって、いっしょに面接に行ったじいちゃん、ばあちゃん、みんな受かったもん」

■兄の大学の授業料になった「相棒」

「今回は文章も書いた。文章は面白いよ」

 ユーモアたっぷりに書かれた少年時代のエピソードで、切ないオチもあり、読ませる。

 小さなころから世話を任されていた牛は梁少年の「相棒」だったが、「結局はお兄ちゃんの大学の授業料に」なってしまう。

「酔っぱらって立ちションして、おしっこが上から下に流れるのを見ていると、完全にタイムマシンに乗っちゃって、いちばん幸せだった自分の幼少期に帰っちゃうんです。昔、田舎でこんなことがあったなあ、と思い出しながら書いた。花に小便をかけたとき、ちんちんをハチに刺されたこととか」

(C)梁丞佑
(C)梁丞佑

 わずかだが、この作品を撮っていたころの心情に触れた箇所もある。

<アルバイトで建設現場に行くと「ヤン君、よく体動くね! 今度からうちで働いてよ!」「お前、職人になれよ」などと誘われる。しかし写真界では一度も誘われない。(中略)なんとかやってきたけれど、何でこんなことをしてるんだろうと思った。冷静になると辛いものがあった。分かってはいるけれど押し潰されそうだった>

 バカでもやらなければ、やっていられない。そんな感情が伝わってくる。

■写真をやめる理由がほしかった

「8、9年前かな。(なんで、俺、こんなに苦労するんだろう、もう、写真をやめよう)と思った。写真をやめて、ほかの仕事をやればいくらでももうけられる自信があった。いちばん苦しかったとき、酔っぱらって家に帰る途中、全部、信号無視で歩いた。苦しいから写真をやめた、というのはカッコ悪いから。事故にあっちゃって、腕とか足が折れて、それでやめたらしいよ、と」

 苦しい心情を吐露した文章に寄り添うのは質屋のカウンターを写した写真。

「友だちから『いい写真を撮ってね』と言われて、ライカとレンズ2本をもらったんだけれど、いきなり質屋に(笑)。もちろん、ちゃんと返してもらいましたけど」

 そのとき、「記念にこの場をちょっと撮っておきたいんですけれど」と、お願いすると、やさしく、こう言われた。

「どうぞ、どうぞ、がんばってね」

アサヒカメラ 米倉昭仁)

【MEMO】梁丞佑写真展「ヤン太郎 バカ太郎」
Zen Foto Gallery 9月17日~10月16日

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