■妻は「やらない理由はない。やりなさい!」
中野は、喜多さんが写真に出合ったころから撮影してきた場所だった。
「必要に迫られてカメラを持った。そのとき、写真が地平のように、ぱっと現れた」と、振り返る。
当時、喜多さんは37歳。家電量販店に勤めるサラリーマン。それまでのパソコン売り場から中古カメラ売り場へ異動になった直後だった。
「自分が分からないものを売るわけにはいかないじゃないですか。中古のコンパクトデジタルカメラを買って、普段の通勤路を撮ったんです。そうしたら、いままで見えていなかったものが見え始めた。その衝撃たるや、びっくりした。これは止められないといった感じで写真にのめり込んでいった」
JR中野駅北口には大正時代から続く商店街があり、大勢の人でにぎわう。雰囲気のいい居酒屋もたくさんある。
「北口って、引かれる場所だったんです。サラリーマン時代、くたくたになって帰ってきて。もう、やってられるかって、飲みに行った。そういう場所を撮りたかったんです。まあ、そのくらい煮詰まっていた感があった」
そのころ、喜多さんは結婚した直後だった。
「やりたいことが見つかった」と言う喜多さんに、妻は「やりたいことが見つかる人生なんか、そうそうないんだから、やらない理由はない」という感じで後押ししてくれた。
「しかも、『やるなら、やりなさい!』くらいの勢いだったので、学校に行こう、と思った」
■5歳半まで過ごした蒲田の記憶
2013年、日本写真芸術専門学校に入学すると、1年目の担任だった写真家・山崎弘義さんの影響でスナップ写真の撮影に打ち込んだ。
「けれど、なんか違和感があったんです。ぼくの追い求めるものは何だろう、と考えていたら、古い東京の何かを探しているんじゃないかな、という気がしまして」
そして、「こんな本が」と、今度は『東京の空間人類学』(陣内秀信、筑摩書房)を取り出す。山崎さんに勧められた本だそうで、ページをめくると、あちこちに蛍光ペンでラインが引かれている。
このなかで陣内氏は、東京について「都市の中身を構成する新旧織り混ぜた様々な要素とが巧みに混淆し、世界にも類例のないユニークな都市空間」と書いている。
「これを読んだとき、ぼくの生まれた場所みたいなところを掘り下げるように撮りたい、と思った」