喜多さんは1974年、大田区蒲田で生まれた。
「おぼろげなイメージなんですけれど、5歳半まで過ごした蒲田の記憶というのが大きいんです。それが原点のような気がします。なぜ、中野を撮ったかというと、その雰囲気が幼いころに見た原風景にちかいから」
■足の裏の感覚を信じて歩く
ちなみに、蒲田のある大田区を撮りに行くには度胸がいったという。
「ぼくにとっては生まれた土地だから、がっかりすると嫌だな、と思って。でも、がっかりしなかった。気持ちよかった。もちろん、思っていたのとは違うこともありました。でも、羽田から雑色(ぞうしき)のほうは昔、見た感じ、雰囲気が残っていた。で、また話は戻るんですけれど、やっぱり、中野に似ているなあ、と思った。戦後、闇市があった場所のごちゃごちゃ感。そういうものばかりを追い求めている感じがします」
それを素直に撮るというより、美しく撮りたいという喜多さん。そこに故郷への憧憬(しょうけい)が感じられる。
東京は江戸時代から地形を巧みに利用して街がかたちづくられてきた。さらに明治から令和にいたる時代を反映して街は変化し続けてきた。
撮り始めたころは、そんな土地の背景を調べたうえでレンズを向けた。しかし、しばらくすると、それをやめた。
「足の裏の感覚を信じて、調べないで撮るようにしています」
足が向くのは、「なくなっちゃうのが残念で、いとおしいもの。土着的な何かがにじみ出るようなもの。そういうのって、古い電車の線路沿いだったところ、川沿い、低地とかに集中しているので、自然と足がそういう方向に向きますね」。
■半端ない継ぎはぎ感がいとおしい
作品を繰り返し見ていると、東京は古い場所に新しいものを継ぎ足していった都市であることがすごく伝わってくる。
「実際、東京はどこもかしこも継ぎはぎだらけなんですよ。ヨーロッパのような都市計画がないので、継ぎはぎ感が半端ない。それがいとおしいというか、とても好きなんです」
(文=アサヒカメラ・米倉昭仁)
【MEMO】喜多研一写真展「GROUND RESUME-土地の履歴書-」
アイデムフォトギャラリーシリウス 8月5日~8月11日