
そのころ、2度目の流産をした。原因はわからない。
「でも、子どもが命、体を張ってというか、私に伝えたかったメッセージもあったんじゃないかな。たぶん、そういう出来事がなかったら『常世』をつくろうとは思わなかったでしょうし。生まれてこられなかったこと、というより、生命が訴えかけてくるもの。それはすごく意味深いと思いました」
■白と黒だけ写真に宇宙のような広がりを感じる
それから3年後、待ちに待った子どもが誕生した。すると、写真に対する意識がさらに大きく変化した。それは、「撮ることというより、プリントすることの意味」についてだった。
「子どもがお乳を飲んで寝て、また飲んで。おしっこしたり、うんちしたり。それが全部、この『腕の輪の中』で完結している。それに気づいたとき、ハッとした。すごく驚きを感じました」
山田さんはそう言って、子どもを抱くように両手をつないで輪をつくる。
それまでは、ほかの写真家の活躍を知ると、「ヒマラヤとか行っているんだ」「いいなあ、うらやましいなあ」という気持ちが湧き上がった。
「でも、この腕の輪の世界もすごく濃厚で、宇宙があるな、と思ってから作品の見方が非常に変わってきたんです。時間をみつけては子どもをおんぶして暗室に入って、少しずつ焼き直していくと、自分の心象風景がさらに立ち上がってきた。新しい経験や視点、さまざまな要素が自分の中で反響して広がって、何回も何回も試して。その成長を『もの』として見届けられることが非常に面白い」
目を閉じて、額に集中していると、「白と黒だけ」の写真のなかに宇宙のような広がりがあることをすごく感じるという。
「得難い子育ての体験ですね。ほんとうにどこにも出かけられないのに。無限って、大海原にだけあるんじゃなくて、閉ざされたなかにもある。それにすごく気づかされた」

■与謝蕪村の辞世の句に感じるモノクロ写真的なもの
震災前、1度目の流産をした直後に雪の残る奥会津で写した白梅の写真がある。それを与謝蕪村の辞世の句、「しら梅に明る夜ばかりとなりにけり」と重ね合わせてプリントしている。
「いまから死んで広い世界に、梅の白さのなかに吸い込まれていくよ、というのは非常にモノクロのフィルム写真的だと思うんです。ネガを印画紙に焼きつけると、黒いところは白くなり、白いところは黒くなる。それがずっと交互に円環をかたちづくっているようで、この世とあの世のつながりを感じさせるんです」
(文・アサヒカメラ 米倉昭仁)
【MEMO】山田なつみ写真展「TOKΘYO(常世)」
リコーイメージングスクエア東京 4月8日~4月26日。
会場では特装版の写真集「TOKΘYO」(私家版、A4変形、平綴じ、24000円・税別)を限定10部、販売する。桐箱入り。ブックカバーは「生命の樹」をモチーフに作家のデザインを刺し子で仕上げた。刺し子は角田市障害者就労施設「のぎく」の手仕事によるもの。バライタ作品1点と手刺しゅうのシリアル番号つき。

