バッドランド、アメリカ(撮影:白川義員)
バッドランド、アメリカ(撮影:白川義員)

 その見方が変わったきっかけは、ある古い記事を読んだことだった。「つまらない山岳写真」(「山と高原」59年1月号)と題された記事で、執筆者は「岩波写真文庫」の編集をしていた名取洋之助。仕掛人はあの大森である。

 山岳雑誌「岳人」の杉本誠元編集長は名取の記事をこう要約する。

「見渡すところ、今の山岳写真家はひとりよがりで甘ったれている。少なくとも他に発表して見てもらおうと思うならば、(1)登山の記録写真、(2)登山者にとって意義のある珍しい写真、(3)純粋に芸術としての写真、この三つぐらいの区別は、はっきりとつけなさい」(『山の写真と写真家たち』講談社)

 当然、論争が巻き起こった。そして、反論の急先鋒に立ったのが白川さんだったのだ。

「山岳写真のむずかしさ」(「山と高原」59年4月号)という記事を発表し、名取論文に対して理路整然と反論した。多少議論がかみ合っていない部分も見受けられるが、山岳写真界できちんと反論したのは当時、24歳の白川さんただ一人だった。

 そんな白川さんの作品を重森弘淹をはじめとする写真評論家たちは注目していたし、本人も写真表現を十分に意識していたに違いない。

ザ・ウェーブ、アメリカ(撮影:白川義員)
ザ・ウェーブ、アメリカ(撮影:白川義員)

従来の山岳写真に対して「俺の見た山はこんなものではない」

 デビュー当時から白川さんは「山から写真ではなく、写真から山に入った」と公言していた。従来の山岳写真に対して、「俺の見た山はこんなものではない」という拒否反応もあった。

 その作風については好みが分かれると思うが、ようやく時代が追いついてきたことを感じる。

 インタビューの最後、最近の山岳写真についてたずねたところ、「つまらない山岳写真」以上に辛辣なコメントが返ってきた。そして、こう締めくくった。

「私は思想信条、理念信念の基に撮影しています。それ以外の写真は撮りません」

                  (文・アサヒカメラ 米倉昭仁)

【MEMO】
白川義員写真展「永遠の日本/天地創造」
東京都写真美術館
第一期「永遠の日本」2月27日~4月4日、
第二期「天地創造」4月6日~5月9日

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