寒風をついて津保川を渡る徹明町行きのモ520型は、美濃電軌半流型のプロトタイプだった。ツートンの名鉄岐阜市内線標準色が懐かしい。白金~上芥見(撮影/諸河久:1967年2月26日)
寒風をついて津保川を渡る徹明町行きのモ520型は、美濃電軌半流型のプロトタイプだった。ツートンの名鉄岐阜市内線標準色が懐かしい。白金~上芥見(撮影/諸河久:1967年2月26日)
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 1960年代、都民の足であった「都電」を撮り続けた鉄道写真家の諸河久さんに、貴重な写真とともに当時を振り返ってもらう連載「路面電車がみつめた50年前のTOKYO」。昨年に引き続き夏休み特別編として、諸河さんが半世紀前の学生時代に撮影した各地の路面電車の風景をお届けする。第4回は中部・北陸地方で活躍した名古屋鉄道美濃町線、静岡鉄道清水市内線、福井鉄道福武線(ふくぶせん)の路面電車にスポットを当てた

【岐阜、静岡、福井…路面電車がある街並みの貴重な写真! 続きはこちら(計8枚)】

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 橋梁を走る鉄道のシーンは、数多く撮影してきた。川面を渡る風の音が聞こえてくるような風情を感じ取れ、趣深い。

 美濃和紙で知られる岐阜県美濃町(現・美濃市)と岐阜市の繁華街柳ヶ瀬とを結んだ美濃町線を写した冒頭のカットもその1枚。沿線の景勝地、津保川橋梁を渡る一コマだ。寒風吹き付けるなかゆっくりと走る光景が、いまでも強く記憶に残っている。風がさらに強まったら、不通になってしまうのでは……とドキドキする読者もいるのではないだろうか。

■美濃町と岐阜市を結ぶ

 この車両は、後述のモ510型のプロトタイプとなったモ520型で、1923年にモ510型と同じ日本車輛で製造されている。名鉄岐阜市内線標準色だったグリーンとクリームのツートン時代の撮影だ。この車両はオリジナルの木造車体に鋼板を張り付けた「ニセスチールカー」で、床下には木造車の証であるトラスロッドが覗いている。台車は舶来の米国製ブリル27MCB-1型を奮発している。

 美濃町線は、明治期の1911年に神田町~上有知(こうずち/後年に美濃町→新美濃町→美濃に移転改称)24800mが開業している。戦後になるとルート変更で、岐阜市内の起点を岐阜柳ヶ瀬(旧称神田町)から徹明町に移している。1970年には名鉄新岐阜駅(現名鉄岐阜駅)への直通運転のため、競輪場前から分岐する田神線を開業した。

上芥見のサイドリザベーション軌道を走る美濃電軌引継ぎのモ514+モ512の臨時電車。600万画素のキヤノンEOSD60で撮影した初期のデジタル作品。白金~上芥見(撮影/諸河久:2003年8月30日)
上芥見のサイドリザベーション軌道を走る美濃電軌引継ぎのモ514+モ512の臨時電車。600万画素のキヤノンEOSD60で撮影した初期のデジタル作品。白金~上芥見(撮影/諸河久:2003年8月30日)

 次の美濃町線のカットは、動態保存車として人気を博していたモ514+モ512が、鉄道愛好者団体の臨時電車として運転された2003年夏の一コマ。筆者が学生時代から通った上芥見のサイドリザベーション区間を走るシーンだ。

 このモ510型は、美濃電軌セミボ510として1926年に登場した他に例を見ない個性的な半流線形の路面電車で、美濃町線の主力として活躍した。当初はポール集電で、前後に大きな救助網を装備していた。形式記号の「セミボ」はセミスチール・ボギー車の略称だった。名鉄になってからはモ510型になり、晩年は揖斐線直通用連結運転改造などの変遷を経て「レジェンド」の存在となったが、2005年4月の岐阜地区600V線区全廃により廃車された。

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諸河久

諸河久

諸河 久(もろかわ・ひさし)/1947年生まれ。東京都出身。カメラマン。日本大学経済学部、東京写真専門学院(現・東京ビジュアルアーツ)卒業。鉄道雑誌のスタッフを経てフリーカメラマンに。「諸河 久フォト・オフィス」を主宰。公益社団法人「日本写真家協会」会員、「桜門鉄遊会」代表幹事。著書に「オリエント・エクスプレス」(保育社)、「都電の消えた街」(大正出版)「モノクロームの東京都電」(イカロス出版)など。「AERA dot.」での連載のなかから筆者が厳選して1冊にまとめた書籍路面電車がみつめた50年 写真で振り返る東京風情(天夢人)が絶賛発売中。

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